Scri
abin

A Portrait,1895 to 1897,MAKOTO UENO

An Essay about Scriabin

by 上野真

今回オール・スクリャビン・リサイタル第一弾を企画するにあたって、先ずは1890年代の初期作品、10代から20代の時に作曲した練習曲、前奏曲、ソナタ(幻想曲)という3ジャンルの作品を演奏しようと考えました。12の練習曲作品8は、作曲家としてのスクリャビンを、…



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演奏曲目

(文:高田伸也)

12の練習曲 op.8 (1895)

この作品を完成させたとき、スクリャビンがまだ23歳であったことをどのように想像すればいいのだろうか。たとえばロマン派の天才作曲家、つまりショパンとシューマンの才能が花開いたのも確かに22歳から23歳にかけてのことであった。しかしながら、想像を絶するロマン派の時間軸を現代の時間の流れに比較することはできない。1872年に生まれたスクリャビンの時代には、まだその天才の時間軸の上で自己を形成することが可能だったのだということがここには如実に示されている。恐るべき、そして美しい作品である。

24の前奏曲 op.11 (1896)

先の練習曲集 op.8に続いて完成された前奏曲集。希少な調性を積極的に使用したop.8に比べて、ショパンの前奏曲集と同じく五度圏の平行調の上を進行する古典的な佇まいを見せているが、冒頭の数小節を聴くだけで、スクリャビンの精神が時代をさらに飛び越えていく浮遊力に出会うことになる。ここでスクリャビンが示しているモダニズムは、抒情に関わる全ての感情に対して決定的な影響を与えたものである。聴く者は両手を膝の上にのせる前に、その翼にのる心の準備をしておいたほうが良いのかもしれない。

ピアノソナタ 第2番 op.19 (1897)

op.8とop.11よりも前に構想されながら、完成は先の前奏曲 op.11の翌年のことであった。ピアノソナタというさらに古典的な様式をめぐって、12分にも満たないこの作品の中にスクリャビンが注ぎ込んだ時間をどのように感じ取ることが出来るだろうか。天才は、理解を急ごうとはしない。誰にとっても充分すぎる時間がここにあることを確信しているしぐさで、時計の針の重力を解放する手続きをゆっくりとすすめてゆくのである。

公演情報
ピアノ:上野真 - Steinway (NY 1905)


場所:カフェ・モンタージュ


2024年
5月5日(日) ― 19:30開演
5月6日(月・祝) ― 19:30開演


入場料金(両日とも同プログラム)
各日 4000円



Essay




  • スクリャビンのプログラムについて

    文:上野真


    今回オール・スクリャビン・リサイタル第一弾を企画するにあたって、先ずは1890年代の初期作品、10代から20代の時に作曲した練習曲、前奏曲、ソナタ(幻想曲)という3ジャンルの作品を演奏しようと考えました。

    12の練習曲作品8は、作曲家としてのスクリャビンを、楽譜出版商でスポンサーのベリャーエフが見出し、その励ましを受けて、次々に意欲的な作品を発表することになる最初の時期に書かれたものです。 24の前奏曲作品11は10代の頃から長期にわたって書き留められ、最終的に1897年に纏めて出版された作品です。 ソナタ第2番、いわゆる幻想ソナタは1898年出版、初期作品の中で最も完成度が高い曲の1つです。

    スクリャビンの初期作品は、頻繁に言われる通りショパン、リストの影響を受けています。
    しかしながら、他の多くのロシア作品、例えばチャイコフスキー等にも共通することですが、シューマンの影響も抜きには考えられません。 スクリャビンの凄いところは既に10代にして独自の世界、非常に個人的な旋律線、和声、リズムとテクスチャーに到達し、それらが作り出す詩情、抒情、神秘性、色彩感を生涯追求し、更に発展させた事です。 晩年の彼は初期に作曲した作品を否定するようなコメントを残していますが、実の所彼の晩年の精神、思想でさえも、若い頃のそれと全く別のもの、相反するものではなく、彼の音楽作品と生涯全体はあたかも1つの円を描いているような統一感と印象を受けます。 今回の3つの作品に特徴的な左手の音型やポリリズムは、元はと言えば先人たちの影響下から始まったものですが、それが拡大され、声部の書法、ポリフォニーの扱いが、ロマン派ピアノ音楽、調性のあるピアノ音楽のほぼ限界にまで試みられています。 12の練習曲、24の前奏曲共にタイトルからしてショパンの影響は直接的です。特に前奏曲の調性配置は完全にショパンに習っています。ただしスクリャビンの24の前奏曲では日記の様に、作曲した場所や作曲した日付を各曲の楽譜の最後に書き込むことで、「追憶」、「意識の流れ」、或いは「消えていくものの儚さ」が記されている様に思えます。
    (そういえばプルースト、カフカ、リルケも同世代です。また音楽家ではラヴェルとシェーンベルクが同世代。又1870年代はバイロイト音楽祭が始まった時期になります。)

    因みにスクリャビンには批判的だった全く異なる芸風のショスタコーヴィチも1930年代、彼の24の前奏曲で同じような試み(作曲の場所と日付を書き込むこと)をしています。

    幻想ソナタのタイトルSonate-Fantaisieは、細かな文言は別として、ベートーヴェンの作品27を思い起こさせます。 事実ソナタ第1番を書き始めた時期からスクリャビンはベートーヴェンのピアノソナタをより深く研究し始めていたと伝えられています。 後年メトネルが様々な形容詞のタイトルを持つピアノソナタを作曲することに繋がっていきます。

    現実的にスクリャビンの楽譜を音にする場合には、独特の指遣いやペダル奏法、ルバートなどが必要とされます。そして特別な音色。 ある種のピアニスティックな弾き難さという点で、シューマンとの類似を私は感じるのですが、2人とも手を痛めてしまった作曲家です。 もしかすると、彼らの個性的な音楽的想像力や創造的エネルギーの大きさと、それに対応する技術のバランスが(若い時点では)取れていなかったことに起因するのではないかと考えられます。 記譜法のidiosyncrasy や運指法の点で、演奏者にとっては非常に繊細な読譜と準備が要求されると思います。

    スクリャビンの受容については、1970年代前後までロシア、旧ソ連出身のピアニストを除いて、演奏するピアニストは少なく、シドン、ラレードそしてオグドンなどのレコーディングが少し出ている程度でした。 我が師ホルへ・ボレットは、「スクリャビンは素晴らしい作曲家だ」が、リサイタル全てスクリャビンというのは「保たない」と言っていました。 旧ソ連以外でスクリャビンが広く認知されるようになってきたのは、1980年以降の事のように思われます。

    一方でその本質と世界観において、例えばベルトランの詩やヴァレリーの詩の様に、少数の為の秘められた音響世界、詩的精神世界、よく言われる神秘主義的な要素があり、それが「常に誰にでも広く門戸が開かれている」という訳にはいかない部分だと私は考えています。

    今回演奏する曲目は、多くの曲が珠玉の小品揃い、磨かれるに値する宝石です。素晴らしい作品だと、少しでも感じていただけましたら、これに勝る喜びはありません。(談)