マルティヌーのことを知らない

大作曲家マルティヌーの、その作品以外のことをほとんど知らない。
1923年から1940年までずっとパリにいたはずなのに、その初期に恩師アルベール・ルーセルから「私の栄光」と最大限に讃えられながら、彼はずっと作曲をしていたというが、しかし、その他のことがわからない。
ドビュッシーがいない、けれども最晩年のフォーレも、ラヴェルも、ストラヴィンスキーも、六人組もいたのに、彼は作曲以外に何をしていたのだろう?

パリに着いた1923年、マルティヌーはすぐにサッカーの大ファンになった。 “マルティヌーのことを知らない” の続きを読む

ドビュッシー追悼

ドビュッシーについて

アルベール・ルーセルの追悼
「まずドビュッシーに感謝しなければならない。 フランス音楽を、革命的な、しかし今日では自明と思われる手法で、我々をその趣味と平衡感覚そして新たな言語でもってかつての伝統に引き戻し、ワグネリアンの手中から救ったのだから。和声の発見や霊感に満ちた大胆さ、そして独立という事の大切な教義より以上の、我々彼から学んだもの…
それは、トリスタンの燃える熱情と春の祭典の恐るべき爆発、その二つの間に、牧神の午後のフルートの攪拌が齎した不滅の声であった。」
アルベール・ルーセル(作曲家)

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