シューベルトの「西東詩集」

カップのサイズや、飲み口が厚かったり薄かったりで、コーヒーの味が違う!という主張を始めたのはどこの誰なのだろう。

「そんな違いはない」と反論するのは自由だ。
「違い」はコーヒーなどという黒いものを飲む人間の感覚と思考のあいまいさが生む誤謬であって、マイセンであろうが清水焼であろうが、味そのものは同じなのである。そのことに文句はあるだろうか。

そこにきて「味とはなにか?」である。 “シューベルトの「西東詩集」” の続きを読む