メトネルが1933年にパリで書いた「ラフマニノフ」という雑誌記事がある。これは作曲家ラフマニノフについて語りながら、その実、自分語りをしているのではないかと思われる貴重な文章である。
まず登場するのが「名声」についての辛辣な批評だ。
ラフマニノフ、名声ある人なのだが大丈夫かな…と思っていたら、早々に「ラフマニノフについて論じるのは、彼が著名であるがゆえに難しい」ときた。…やっぱりだ。
でも、そう書いた後で、「でもラフマニノフは本物だから」と必死に言い訳するメトネルの言葉を追いながら、本当にいい人なんだなと思う、これは心温まる文章なので “ニコライ・メトネルのこと” の続きを読む
もう一度、タネーエフ
ところでタネーエフというのは、セルゲイ・タネーエフのことだ。
1855年生まれ チャイコフスキーに師事して大変に気に入られた彼は、1875年に音楽院を卒業すると今度はモスクワ大学に行った。そこで彼はネクラーソフの親友でドストエフスキーの論敵であったシチェドリンやツルゲーネフと知り合った。
タネーエフ
ところでタネーエフというのは、セルゲイ・タネーエフのことだ。
1855年生まれ チャイコフスキーに師事して大変に気に入られた彼は、 “タネーエフ” の続きを読む
フォーレとサンサーンス
ガブリエル・フォーレは16歳の時、音楽学校にピアノを教えに来た10歳年上のカミーユ・サンサーンスに出会った。「私の初めての歌曲は、料理の匂いが漂う音楽学校の食堂で “フォーレとサンサーンス” の続きを読む