ドビュッシーはクローシュ-Croche氏というペンネームで評論を書いていたのだが、その活動の重要性を強調するルイ・ラロワに対して、「何も聞いていない人に向かって話して、それが何になるだろう」と書き送っていた。ラロワはのちにドビュッシーの評伝を初めて書いた人物である。
「言うべきことは確かにある。でも音楽が、隣人よりも声高に話す人々が作った小さな共和国のそれぞれに分かれている中で、誰に対してものを言えばいいのだろう。ベートーヴェンとラヴェルの間を行き来している人に!天才という、愚かでバカバカしい役回りを引き受ける人間はもういなくなった。」(10.Mar.1906 – Debussy to Laloy)