マルティヌーは語る

マルティヌーについて果たしてどのように説明すればいいのだろう。
彼について紹介されている文章を読んでも、いまいちピンとこない。

チェコに生まれ、
幼少から音楽の才能を発揮し、
10代で作曲を始めて
やがてドビュッシーに憧れるようになり、
パリに行って新古典とジャズに染まり、
パリのカフェで会った当時ボストン響指揮者のクーセヴィツキーに見出され
1932年には『弦楽六重奏曲』がクーリッジ財団の一等賞を授与され
68歳の生涯で実に400を超える様々な形式の音楽を作った。

作曲家としての順調なキャリアは理解できても、その音楽がどのように聴き手の自分に関わって来るのかというところが、よくわからない。

ドビュッシーが好きな人や、新古典、ストラヴィンスキーやバルトークが好きな人だったら

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ヴェニスに死す、繰り返し

1975年、ベンジャミン・ブリテンは終わりについて考えていた。
自らの死がヨーロッパ音楽の歴史の終結を意味することは、どうしても意識されないわけがなかった。

全てが頭の中で完結され、あとは紙に書き写すだけというモーツァルトの伝説をそのままの形で再現していたブリテンの創作は、それまでに幾度も繰り返されてきたモーツァルトの再来そして死の最後の形態として、1976年、静かに終わりの時を迎えた。 “ヴェニスに死す、繰り返し” の続きを読む

ショスタコーヴィチ、現代

「盟友のヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの60歳の誕生日のために書き始めた協奏曲が思ったよりも早く完成してしまい、59歳の誕生日プレゼントとなってしまった。」

そこで、急遽60歳の誕生日に向けて筆を走らせて書かれたという、ショスタコーヴィチのヴァイオリンソナタについて。

時はフルシチョフ失脚後のロシア、冷戦の緊張下で世界の地図が書きかえられていく中で起きた「プラハの春」そしてロシア軍のプラハ侵攻、まさにその年に書き上げられたヴァイオリンソナタと弦楽四重奏曲第12番、そして翌年に発表され、盟友ブリテンに捧げられた交響曲第14番は、いずれも十二音技法を一つの暗示として配置している。

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ブリテン、現代

ある人からは、前衛的に過ぎる、といわれ
あるひとからは、保守的ではないか、といわれる
ドミトリ・ショスタコーヴィチとベンジャミン・ブリテンについて、何か書くことが出来ないだろうと思う中で、ある種の定義はその対象を置き換えることで、いつでも成立するものだと了解した。

バルトークは、保守的ではなかったか。
ブーレーズは、実は保守的ではなかったか。
シュトックハウゼンは、さては保守的だったのではないだろうか。
ケージは、やはり保守的であったかもしれない。

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