忘却は消しゴムではない。
もしくは、消しゴムは忘却ではないというべきなのだろうか。
すでに、何を言っているのかわからなくなってきた。
脳は何かを消すのではなく、終わらせるという話を読んだ。 “忘却によって記憶する、イマージュ” の続きを読む
新しい道への音楽
1875年5月、ジュゼッペ・ヴェルディは歌劇「アイーダ」を指揮するためにウィーンの宮廷歌劇場にいた。その時、オーケストラで第2ヴァイオリンを弾いていたアルトゥル・ニキシュはヴェルディの指揮から強烈な印象を受け、ヴェルディからの指示を細かに書き記していた。のちに陶酔的な身振りでオーケストラと観客を魅了する新しいタイプの指揮者としてデビューしたニキシュの根底にあったのが、ヴェルディから受けた多大なる影響なのだということであった。
ヴェルディとはどのような人間であったのか。それは知らない。
ブラームスは話題がヴェルディに及ぶと、 “新しい道への音楽” の続きを読む
再会と、別れと
私たちは再会した。
私たちは、また別れなければならないのだろうか。
100年前に書かれ、その分野として最高峰とされている作品が、まだ一般に聴かれるに至っていないとすれば、それはどういうことか ……
冷静に考えてみると …… それは、たぶん普通の事なのだ。
なぜなら、 “再会と、別れと” の続きを読む
ブラックスミス、ブゾーニ
謎めいた大作として知られているブゾーニのヴァイオリンソナタは、ひとつにはバッハのコラール、そしてもうひとつにはベートーヴェンのOp.109であるホ長調のピアノソナタに範を求めているのだという。
バッハについては旋律がそのまま作品中に出てくるのけれど、ベートーヴェンについてはその「緩-急-変奏曲」の形式に倣ったとだけあって、とまどってしまう。
R.シュトラウス、加速する世紀末
ハンス・フォン・ビューローが最初にピアノを習ったのは、クララ・シューマンの父フリードリヒ・ヴィークであった。後にフランツ・リストに見いだされ、その娘コジマと結婚するが、その後色々あって…ブラームスの親友となった。 “R.シュトラウス、加速する世紀末” の続きを読む
ブラームス、ピアノソナタ 第3番
夜がやってくる 月が光を帯びて
愛ゆえに 二つの鼓動が重なる
幸福な抱擁の時
…このような詩を、人は恋をしているときに書くのか。それとも、そこからは離れた場所で書くのか。
…どっちだろう。 “ブラームス、ピアノソナタ 第3番” の続きを読む
ショスタコーヴィチ、最後のソナタ
なぜ月光なのだろう…
ずっと考えていた。 ターンタターン、ターンタターン ショスタコーヴィチがその語りつくせない人生の一番最後
ドヴォルザーク、ブラームス
「彼はオペラ、交響曲、室内楽に器楽曲、あらゆる音楽を書いていて疑いもなく才能ある人物です。そして、しかも貧しいのです。どうぞこのことをよくお考え下さい!」
ブラームスはウィーンの “ドヴォルザーク、ブラームス” の続きを読む
ブラームスの運命
入る前にノックしてくれる礼儀正しい運命ではない。
バーーーーーーーン!!!
運命はいきなりドアを突き破り “ブラームスの運命” の続きを読む
捨てられないシューベルト
シューベルトが未完成の作品をたくさんの残したのは、それが楽譜ではなく録音テープであると思ってみれば想像がつく。蓄音機の時代には “捨てられないシューベルト” の続きを読む