「インヴェンションとシンフォニア」は、もともとは『クラヴィーア手帳』に掲載されていて、そこでは「前奏曲と幻想曲」というタイトルが与えられていた。
その『クラヴィーア手帳』には「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための」という但し書きがしてある。つまりバッハの長男フリーデマンのチェンバロ学習のために編まれた曲集だということだ。 “あなたがここにいてほしい” の続きを読む
交響的時間
ブラームスのチェロソナタ 第2番 op.99を聴く公演に、この作品が交響的だからという理由で「シンフォニック・タイム」というタイトルを付けた。
このチェロソナタの冒頭には、直前に書かれたブラームスの交響曲 第4番の冒頭がまったく違う形であらわれている。 “交響的時間” の続きを読む
消え去らない熱風
1845年に書かれたメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲 第2番 作品66の冒頭は、ピアニッシモではじまる。
これが、メンデルゾーンがスコットランドで触れた”オシアン”の空気を表現しているのだ・・といわれても、いまいちピンとこないのはおそらく自分がこの作品を実演で聴いたことがないからかもしれない。
そもそも”オシアン”とは… ?
ドヴォルザーク 大作曲家の道
ドヴォルザークは自分でそのように意識していたのかどうか、大作曲家として大成するとしか思えない道を歩んだ。
父はツィターの名手であり、叔父はトランペットの名手だったという、かの大バッハの出生を髣髴とさせる環境にドヴォルザークは生まれた。
そして、初めて手にした楽器がヴァイオリンであり、そのあとヴィオラも弾いたという事も、かの大バッハを髣髴とさせる、
リーマンという教会音楽の作曲もし、教会のオルガンも弾く教師からドイツ語を学ぶうちに、オルガンの奏法のみならず、和声学も学ぶことでカントルの伝統をなぞったことも、 “ドヴォルザーク 大作曲家の道” の続きを読む
遠い人、テレマン
遠い-人 Tele-mann
テレマンはいつも遠くにいて、でもいつも見えるところにいる。忘れられたことがない。つまり、テレマンが「忘れられた作曲家」であったことはない。いつも見えているから、発見されたことがない。
20歳のテレマンは法律学生としてライプツィヒに行く途中で、16歳のヘンデルと邂逅、ライプツィヒに着いた後は聖トーマス教会にカンタータを提供する一方、当時まだ小屋という規模であった劇場でオペラを上演し、市民や学生と共にコレギウム・ムジクムを主導、のちにバッハが受け継ぐべき基礎を作った。
“遠い人、テレマン” の続きを読むウェーベルン
1966年に出版された著作の中でブーレーズは、ウェーベルンの作品を引き合いに出して語っている。「つまり、その感受性はあまりにも唐突に新しいので、はじめて接すると、知的であるとみなされてしまうのだ。」― この言葉はまずその時代のものとして読まれるべきなのだけれど、もう少し考えてみたい。 “ウェーベルン” の続きを読む
E.エルガー
エドワード・エルガーは、英国はウスター州の田舎町に楽器屋さんの息子として生まれ、子供のころに母から渡された “E.エルガー” の続きを読む