シューマンの第3番を聴くことは、本当に難しい。
この作品の中には、音楽の歴史上最大の難関であるベートーヴェンの第14番が巧妙に組み込まれているのだから。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲 第14番 op.131
その第4楽章に置かれたイ長調の変奏曲がもたらす静かな混乱は、 “言葉を乗り越えて、詩の世界へと” の続きを読む
公演のプログラムノート
シューマンの第3番を聴くことは、本当に難しい。
この作品の中には、音楽の歴史上最大の難関であるベートーヴェンの第14番が巧妙に組み込まれているのだから。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲 第14番 op.131
その第4楽章に置かれたイ長調の変奏曲がもたらす静かな混乱は、 “言葉を乗り越えて、詩の世界へと” の続きを読む
1845年に書かれたメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲 第2番 作品66の冒頭は、ピアニッシモではじまる。
これが、メンデルゾーンがスコットランドで触れた”オシアン”の空気を表現しているのだ・・といわれても、いまいちピンとこないのはおそらく自分がこの作品を実演で聴いたことがないからかもしれない。
そもそも”オシアン”とは… ?
新海誠作品の地上波連続放映があった、今のタイミングでしか書けないようなことを書きたい。
映画『君の名は。』はボーイ・ミーツ・ガールのお話であると紹介されることが多いけど、主人公の二人が出会う物語ではない。
ではどのような話かというと、彼らは「すでにどこかで出会っていたかも知れない」という物語だ。
すれ違っただけでお互いを意識してしまった二人が、すでにどこかで出会っていたとすれば、それはいつどのようにしてだろう。その答えは、さっきまで見ていたはずの、でも思い出せない夢の中にある。
この映画をはじめに観たときに、そういえば自分にもそのようなことがあった、と思いあたったことがある。
ベートーヴェンが弦楽四重奏曲 第15番を書いたのは1825年のこと。
その「感謝の歌」と題された第4楽章がある。
その題名の横には
「リディア旋法で」
と書かれている。
“in der lydischen Tonart”
イ短調の旋律は主である”イ音”(a) ではなく光射す “ヘ音”(F) へと向かう。
ベートーヴェンが教会旋法を使用したのは、前年の1824年に初演された「荘厳ミサ曲」でのドリアン旋法がおそらく最初とみられる。
バッハやヘンデル作品の出版が活発になり始めてから、ベートーヴェンは果てのない古楽探索に明け暮れていたが、 “シューマンの「感謝の歌」” の続きを読む
クラシック音楽に限らない話かもしれないけれど、作品の立ち位置が不安定だと、なかなかその作品は演奏されないし、よって聴かれる機会も少ない。
でも、立ち位置というのは今よりずっと以前から、いろんな人が果たしてきたことの上に定まって来たものであり、それなしにはいま不動の名作として君臨している楽曲でさえも、不安定で知られないままだったかも知れないと思う。
「知られざる作品」には、様々な可能性が秘められている。 “シューマンの最終楽章” の続きを読む
自由 しかし 孤独
このモットーがなぜヨーゼフ・ヨアヒムの所有となったのか。
そこから話を始めてみたい。
1849年、ゲヴァントハウス管弦楽団にいた18歳のヨアヒムは、4歳年上のギーゼラ・フォン・アルニムと出会った。ギーゼラはベートーヴェンとゲーテの間を行き来し、そのままロマン派の最深部に溶け込んでいた詩人、かのベッティーナ・フォン・アルニムの娘であった。
ギーゼラはすでにグリム兄弟・弟ヴィルヘルムの息子ヘルマンと約束のあった身であったらしいが、しかしヨアヒムは彼女にいつしか恋をしてしまったらしい。
1852年、Gis – E – La という音型モチーフをあしらった手紙をギーセラに送った。それはいずれF.A.E.というモチーフに取って代わられることになる3音であった。 “ヨアヒムの恋、シューマンの喪失” の続きを読む
ロベルト・シューマンの最晩年の室内楽作品
1851年に書かれたヴァイオリンソナタ 第1番と第2番という2つの作品と、1853年に書かれたヴァイオリンソナタ 第3番との間には決定的な違いがある。
その原因は、言わずと知れたことだが、ブラームスとの邂逅がこの間に発生したことである。
すでに1850年にブラームスはシューマンに作品をみてもらおうとして失敗したらしいが、まだ最初のピアノソナタさえも作曲していなかったブラームスが何をシューマンに送りつけて、未開封で戻ってきたのかは不明だ。
1853年9月30日、ブラームスはヨアヒムの紹介状を持ってシューマンを訪れ、シューマンはようやく事の次第に気が付き、 “シューマンとブラームス 灰になったもの、あとに残されたもの” の続きを読む
1839年の3月21日に交響曲「ザ・グレート」はフェリックス・メンデルスゾーン指揮のゲヴァントハウス管弦楽団によって初演された。
パート譜はシューマンが前年にウィーンから送り付けてきたシューベルトのページの順番が不揃いなままの自筆譜から、ただでさえ多忙のメンデルスゾーンが暗号を解くように並べて書き起こした。
シューマンはメンデルスゾーンとは別に出版社ブライトコプフにあてて、 “交響曲「ザ・グレート」” の続きを読む
カフェ・モンタージュのシリーズ『シューマンを待ちながら』は「第一期」と設定していたピアノ三重奏曲、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲の3公演を終え、これから始まる「第二期」ではシューマンのデュオから弦楽四重奏まで、シューマン周辺の作曲家の作品を交えたプログラムを予定しています。そこでこちらからひとつの提案を致しました。
「アンサンブルの名前をつけませんか?」 “メルセデス・アンサンブル 発足!” の続きを読む
「穏やかに、そして優しい表情で」
シューマン最晩年の組曲「おとぎ話」op.132 の第3曲にはそう示されている。この曲の始まり3秒で鷲掴みにされてしまうこの感情を、自分はどこで教わったのだろう。