ツェムリンスキーの弦楽四重奏曲 第2番が日本で演奏されたという記録が見つからない、少なくともこの10年の間は…と書いたところ、さっそく情報を寄せてくださった方がいた。
1999年、伝説のハレー・ストリング・クァルテットによるカザルスホールでの演奏会。
そして、昨日の演奏会の終演後、客席にいらしたお客様から、「一度、2011年にフェニックスホールで聴きました」とまた情報が寄せられた。 “日本初演のお話:ツェムリンスキー 弦楽四重奏曲 第2番” の続きを読む
公演のプログラムノート
ツェムリンスキーの弦楽四重奏曲 第2番が日本で演奏されたという記録が見つからない、少なくともこの10年の間は…と書いたところ、さっそく情報を寄せてくださった方がいた。
1999年、伝説のハレー・ストリング・クァルテットによるカザルスホールでの演奏会。
そして、昨日の演奏会の終演後、客席にいらしたお客様から、「一度、2011年にフェニックスホールで聴きました」とまた情報が寄せられた。 “日本初演のお話:ツェムリンスキー 弦楽四重奏曲 第2番” の続きを読む
なぜこのような作品が誕生したのか。
この長大な作品を何度も繰り返し聴きながら考えていた。
この作品に関しても、作曲家ツェムリンスキーに関しても、読むことの出来る情報は驚くほど少ない。
シェーンベルクが「いずれ、おそらく私が考えるよりも早く、彼の時代が来る」と書いたように、ツェムリンスキーのリバイバルを目論んだ動きはこれまでにもあったらしい。
まずは生誕100年である1971年以降のこと。1960年代から沸き起こったマーラー・リバイバルの勢いが「彼の友人であるツェムリンスキー」にも波及した形で楽譜が出版され、 “ツェムリンスキー:弦楽四重奏曲 第2番” の続きを読む
見るべき風景がある。
街の中で、風景を作り出すものは何か。
ウィーンが、中世以来のハプスブルク城壁の街から、リン
WIEN
1717年5月13日。
神聖ローマ帝国におけるハプスブルク家最後の男系皇帝となったカール6世の娘として、マリア・テレジアは生まれた。 “ウィーン” の続きを読む