なぜこのような作品が誕生したのか。
この長大な作品を何度も繰り返し聴きながら考えていた。
この作品に関しても、作曲家ツェムリンスキーに関しても、読むことの出来る情報は驚くほど少ない。
シェーンベルクが「いずれ、おそらく私が考えるよりも早く、彼の時代が来る」と書いたように、ツェムリンスキーのリバイバルを目論んだ動きはこれまでにもあったらしい。
まずは生誕100年である1971年以降のこと。1960年代から沸き起こったマーラー・リバイバルの勢いが「彼の友人であるツェムリンスキー」にも波及した形で楽譜が出版され、 “ツェムリンスキー:弦楽四重奏曲 第2番” の続きを読む
抒情組曲
抒情とは、湧き上がる感情を何かの形で表現すること、もしくは、表現によって何かの感情を湧き上がらせること。
「抒情組曲」はシェーンベルクが提唱した十二音技法を用いて、しかし「非常に調性的特徴をもって書く」ことをモットーに掲げて、アルバン・ベルクが1926年に書き上げた大作である。 “抒情組曲” の続きを読む
忘却によって記憶する、イマージュ
忘却は消しゴムではない。
もしくは、消しゴムは忘却ではないというべきなのだろうか。
すでに、何を言っているのかわからなくなってきた。
脳は何かを消すのではなく、終わらせるという話を読んだ。 “忘却によって記憶する、イマージュ” の続きを読む
再会と、別れと
私たちは再会した。
私たちは、また別れなければならないのだろうか。
100年前に書かれ、その分野として最高峰とされている作品が、まだ一般に聴かれるに至っていないとすれば、それはどういうことか ……
冷静に考えてみると …… それは、たぶん普通の事なのだ。
なぜなら、 “再会と、別れと” の続きを読む
点描画法、色彩論
飲み物の味が、容器の材質や口にあたる部分の形状によって変わる。そんな事は誰でも経験している。それは全て人間の感覚の不安定さによるもので、飲み物の成分に変化がない以上それは化学変化ではない。栄養か毒かを識別するのが目的ではない以上、自分は味の変化というものを何のために感じているのか。
そもそも味とは何か。その議論が、うまさ、ということに終始するのであれば、それは音楽におけるうまさと同じで、その場における第一の慰めであると同時に、明日にはもう頼りがいのなくなる指標なのだ。ところで、プラシーボ(喜びという意味だそうだ…)という名前の薬は実在する。 “点描画法、色彩論” の続きを読む
レーガー元年
年号が変わると、あれだけ話題になったのだから、この広い世界、自分が言う前に誰かが言うにきまっている。そう思いながら、これまで息を潜めて待っていたところ、なんと誰も言わない。だから、自分で宣言することにした。
今年は レーガー元年である。
京響・特別演奏会「第九」
シューベルト、シェーンベルク
「まったく恥ずかしいことに、私はよく知っているはずのシューベルトのいくつかの歌曲において、 “シューベルト、シェーンベルク” の続きを読む
新ヴィーン楽派
物語の拒絶
1910年、アントン・ヴェーベルンはオペラの作曲にも意欲を示していたという。 “新ヴィーン楽派” の続きを読む
ウィーンの風景
見るべき風景がある。
街の中で、風景を作り出すものは何か。
ウィーンが、中世以来のハプスブルク城壁の街から、リン