フランシスコ・ザビエル、もう一人の自分

15世紀、世界は終わりを迎えようとしていた。
16世紀、世界は生まれ変わろうとしていた。
ヨーロッパなり、キリスト教なりと、今の世の中で認識されているほとんどのことはこの時期を境に生まれたものである。

親族登用主義によるバチカンの腐敗は、1492年に就任したローマ教皇アレクサンデル6世において頂点に達し、腐敗を是正するための改革を唱える勢力が拡大した。バチカンは段々に孤立し、あろうことかフランスに助けを求めたためにフランス軍がイタリアに侵攻し、イタリアは火に包まれた。

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ベートーヴェン、もう一人の自分

ルドルフ大公は1808年にベートーヴェンのピアノの生徒となった。
健康の問題で軍人にはならず僧職の道に進み、後にモーツァルトとの関係で有名なコロレド枢機卿のあとを継ぐことになる大公は、ピアノ演奏において相当の腕前であった。

ベートーヴェンは作曲をして手ごたえのあった作品の献呈先を、時々変更して人を驚かせることがあった。ト長調のピアノ協奏曲 第4番も、その例にもれず、別の貴族にあげると言っていたものを撤回して、ベートーヴェンは愛弟子であり最重要のパトロンともなったルドルフ大公に献呈した。

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牧神とブーレーズ

「管理された偶然性」とはなんであったのか。
ピエール・ブーレーズは「マルトー」を書いた後、ジョン・ケージとの関係を清算するように、その出会いのきっかけとなったものの、すでに長く離れていた古典の形式に立ち戻って、ピアノソナタ 第3番に着手し、1956年、それは完成されないままにされ、ブーレーズは口を開いた。

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ドビュッシー追悼

ドビュッシーについて

アルベール・ルーセルの追悼
「まずドビュッシーに感謝しなければならない。 フランス音楽を、革命的な、しかし今日では自明と思われる手法で、我々をその趣味と平衡感覚そして新たな言語でもってかつての伝統に引き戻し、ワグネリアンの手中から救ったのだから。和声の発見や霊感に満ちた大胆さ、そして独立という事の大切な教義より以上の、我々彼から学んだもの…
それは、トリスタンの燃える熱情と春の祭典の恐るべき爆発、その二つの間に、牧神の午後のフルートの攪拌が齎した不滅の声であった。」
アルベール・ルーセル(作曲家)

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優しい国への旅

フランス人といえば
子供のころの事、テレビで見た数人の、日本語を話すフランス人の印象がほとんどで、間抜けなVTRをみたあとで「私の国ではありえません」「フランスでは、このような行為は軽蔑されます」とか言っていて… そんな暑苦しいフランスという国はイヤだと思っていた。 “優しい国への旅” の続きを読む

メンデルスゾーン、ロマン派のはじまり

フェリックス・メンデルスゾーンの祖父は、カントと渡り合った哲人モーゼスであり、その祖父が学問において成し遂げたことを音楽でなさんとする中、38歳で死んでしまった。彼がもう少し生きていれば、変わったのは音楽の歴史ばかりではなかったことを思うと、気が遠くなってくる。 “メンデルスゾーン、ロマン派のはじまり” の続きを読む

ドビュッシーのいない世界。

1848年12月
革命の混乱を一段落させる形で、ハプスブルク最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフ1世が18歳にして皇帝に即位した、その1週間後にフランスで行われた大統領選挙で75%に迫る票を獲得して勝利したのがルイ・ナポレオン、その3年後のクーデターを経て皇帝に就任したナポレオン三世である。

1861年3月
ナポレオン三世の勅命によって、ワーグナーの「タンホイザー」が大改造後のパリで上演された。娯楽要素の少ない音楽劇の上演を妨害する笛や怒号がオペラ座に鳴り響く中、陶酔状態で舞台を見つめていたシャルル・ボードレールの姿があった。翌1862年、クロード・ドビュッシーが生まれた。
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