フェリックスの遍歴時代

モーゼス・メンデルスゾーンがレッシングの思想を代弁する形で、長くほぼ禁書の扱いであったスピノザを復活させたことが、それまで確かにあったと思われた、時代の記憶の多くを消滅させた。スピノザを巡っての論争の末、詩人たちは、神と自然を歌う新たな道を探し始めた。 “フェリックスの遍歴時代” の続きを読む

フォーレ、2つの四重奏曲

1880年の初演のあと、すでに出版の決まっていたピアノ四重奏曲 op.15(1879年版)の第4楽章を、フォーレが書きなおすことにした具体的な理由は分かっていない。第1から第3までの楽章だけを出版社に手渡したあと、全く新たな第4楽章が完成したのは4年後の事であった。もともとの第4楽章については何の情報も残されていない。

新たな第4楽章付きのピアノ四重奏曲(以下、op.15と記載する)が初演された1884年、フォーレはすでに次のピアノ四重奏曲(以下、op.45と記載する)の作曲に取り掛かっていた。op.15の出版において全く報酬を得ることのなかったフォーレが、なぜ誰にも頼まれることなくop.45を書くことにしたのか…。 “フォーレ、2つの四重奏曲” の続きを読む

点描画法、色彩論

Signac - Place des Lices

飲み物の味が、容器の材質や口にあたる部分の形状によって変わる。そんな事は誰でも経験している。それは全て人間の感覚の不安定さによるもので、飲み物の成分に変化がない以上それは化学変化ではない。栄養か毒かを識別するのが目的ではない以上、自分は味の変化というものを何のために感じているのか。

そもそも味とは何か。その議論が、うまさ、ということに終始するのであれば、それは音楽におけるうまさと同じで、その場における第一の慰めであると同時に、明日にはもう頼りがいのなくなる指標なのだ。ところで、プラシーボ(喜びという意味だそうだ…)という名前の薬は実在する。 “点描画法、色彩論” の続きを読む

ラヴェル、スカボロー・フェア

ドビュッシーはクローシュ-Croche氏というペンネームで評論を書いていたのだが、その活動の重要性を強調するルイ・ラロワに対して、「何も聞いていない人に向かって話して、それが何になるだろう」と書き送っていた。ラロワはのちにドビュッシーの評伝を初めて書いた人物である。

「言うべきことは確かにある。でも音楽が、隣人よりも声高に話す人々が作った小さな共和国のそれぞれに分かれている中で、誰に対してものを言えばいいのだろう。ベートーヴェンとラヴェルの間を行き来している人に!天才という、愚かでバカバカしい役回りを引き受ける人間はもういなくなった。」(10.Mar.1906 – Debussy to Laloy)

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終りの音楽

永遠に続く 永遠に終わらない いつか終わる
絵画は平面 もしくは平面に近いものに固定され 永遠にそこにあって いつか終わる
過去は どこに固定されているのか 永遠に保存されて いつか終わる
不滅は いつか死に絶える

ある時 例えば髪の毛を洗った後 タオルで頭を無茶苦茶にしている最中に すべての疑問が一つの問いに集約されて その問題が解けた と確信することがある。しかし、自分の人生がそこで終わってしまうことに対する抵抗と怠惰を覚えて やがてすべてを忘れてしまう。

起きながらに夢を見ることがあるかといえば そんなことはしょっちゅうある。目を開きながら見る夢の中でひらめいた良い考えを そのまま発話して目の前の人に伝えようとすると とんでもないことになる。そのような言葉 人に知られずに消えてゆく言葉を 今は書き綴っておきたいと思った。

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事象の地平線、時間の終り

ブラックホールの撮影に成功した、ということであった。
そこには「事象の地平線」という、極端に詩的な、ひとつの言葉が置かれていた。

27歳で戦死した詩人ミルモンの遺作による歌曲集『幻想の水平線』を思い出した。フォーレの最晩年、1921年の作品である。

船がすべて出払った港に、一人たたずむ詩人の叫び。
「私にお前たちの魂を繋ぎとめることは出来ない。
お前たちには私の知らない、はるか遠い世界が必要なのだ。」

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ブラックスミス、ブゾーニ

謎めいた大作として知られているブゾーニのヴァイオリンソナタは、ひとつにはバッハのコラール、そしてもうひとつにはベートーヴェンのOp.109であるホ長調のピアノソナタに範を求めているのだという。
バッハについては旋律がそのまま作品中に出てくるのけれど、ベートーヴェンについてはその「緩-急-変奏曲」の形式に倣ったとだけあって、とまどってしまう。

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シューベルト、こちらへ

Du mußt es dreimal sagen.
「おはいり」、とファウストは3度言わなければならなかった。
オペラ「ルル」原作の冒頭の長台詞においても、ヴェーデキントは「おはいりなさい」と3度、猛獣使いにいわせている。

ウェーバーの「舞踏への勧誘」でも、大変に長い3度目の「おはいり」のあと、ようやく舞踏会への入口が開かれる。

ベートーヴェンも2度目の脅しつけるような「おはいり」のあと、3度目の「おはいり」が長く、そのまま追っかけ合いの舞踏会に突入する。

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ショスタコーヴィチ、現代

「盟友のヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの60歳の誕生日のために書き始めた協奏曲が思ったよりも早く完成してしまい、59歳の誕生日プレゼントとなってしまった。」

そこで、急遽60歳の誕生日に向けて筆を走らせて書かれたという、ショスタコーヴィチのヴァイオリンソナタについて。

時はフルシチョフ失脚後のロシア、冷戦の緊張下で世界の地図が書きかえられていく中で起きた「プラハの春」そしてロシア軍のプラハ侵攻、まさにその年に書き上げられたヴァイオリンソナタと弦楽四重奏曲第12番、そして翌年に発表され、盟友ブリテンに捧げられた交響曲第14番は、いずれも十二音技法を一つの暗示として配置している。

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