ある人からは、前衛的に過ぎる、といわれ
あるひとからは、保守的ではないか、といわれる
ドミトリ・ショスタコーヴィチとベンジャミン・ブリテンについて、何か書くことが出来ないだろうと思う中で、ある種の定義はその対象を置き換えることで、いつでも成立するものだと了解した。
バルトークは、保守的ではなかったか。
ブーレーズは、実は保守的ではなかったか。
シュトックハウゼンは、さては保守的だったのではないだろうか。
ケージは、やはり保守的であったかもしれない。
公演のプログラムノート
ある人からは、前衛的に過ぎる、といわれ
あるひとからは、保守的ではないか、といわれる
ドミトリ・ショスタコーヴィチとベンジャミン・ブリテンについて、何か書くことが出来ないだろうと思う中で、ある種の定義はその対象を置き換えることで、いつでも成立するものだと了解した。
バルトークは、保守的ではなかったか。
ブーレーズは、実は保守的ではなかったか。
シュトックハウゼンは、さては保守的だったのではないだろうか。
ケージは、やはり保守的であったかもしれない。
遠い-人 Tele-mann
テレマンはいつも遠くにいて、でもいつも見えるところにいる。忘れられたことがない。つまり、テレマンが「忘れられた作曲家」であったことはない。いつも見えているから、発見されたことがない。
20歳のテレマンは法律学生としてライプツィヒに行く途中で、16歳のヘンデルと邂逅、ライプツィヒに着いた後は聖トーマス教会にカンタータを提供する一方、当時まだ小屋という規模であった劇場でオペラを上演し、市民や学生と共にコレギウム・ムジクムを主導、のちにバッハが受け継ぐべき基礎を作った。
“遠い人、テレマン” の続きを読む散策し、山に登るというロマン派の象徴を舞台にした「二百十日」という短編を漱石が書いている。温泉宿にて、かみ合う必要のない会話に終始し何の事件も起こらないまま、時間が来て山に登りはじめるものの、その日がちょうど二百十日の嵐にあたっていて、結局山に登ることが出来ず、また登ろうか…そんな話。
今日はフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディの210年目の誕生日だという。
さまざまな音楽を聴く中で、人が拠り所としているものの大部分を作り上げた、この天才について、聴き手として何か言うべきことはないのか。
高速鉄道に乗り、窓から外を眺めていると、近くに見えるものは次々に空を飛び去って行くように感じられ、遠景はいつまでも静かなままそこにある… ベアート・フラーは自作Phasmaについてそう述べたそうだ。
家と家の間、舗装された道路、街の形成、それらを結ぶ幹線道路、その全てはその土地の法則にそれぞれ従って、あるべきところに時間をかけて設置されたもので、増減を繰り返し、変奏を奏で続け、終わりの来るまで永遠に未完成である。それらの全てが空を飛び去って行き、遠景が永遠を物語っている…。
“21世紀ファズマ” の続きを読む 15世紀、世界は終わりを迎えようとしていた。
16世紀、世界は生まれ変わろうとしていた。
ヨーロッパなり、キリスト教なりと、今の世の中で認識されているほとんどのことはこの時期を境に生まれたものである。
親族登用主義によるバチカンの腐敗は、1492年に就任したローマ教皇アレクサンデル6世において頂点に達し、腐敗を是正するための改革を唱える勢力が拡大した。バチカンは段々に孤立し、あろうことかフランスに助けを求めたためにフランス軍がイタリアに侵攻し、イタリアは火に包まれた。
“フランシスコ・ザビエル、もう一人の自分” の続きを読む ルドルフ大公は1808年にベートーヴェンのピアノの生徒となった。
健康の問題で軍人にはならず僧職の道に進み、後にモーツァルトとの関係で有名なコロレド枢機卿のあとを継ぐことになる大公は、ピアノ演奏において相当の腕前であった。
ベートーヴェンは作曲をして手ごたえのあった作品の献呈先を、時々変更して人を驚かせることがあった。ト長調のピアノ協奏曲 第4番も、その例にもれず、別の貴族にあげると言っていたものを撤回して、ベートーヴェンは愛弟子であり最重要のパトロンともなったルドルフ大公に献呈した。
“ベートーヴェン、もう一人の自分” の続きを読む 「管理された偶然性」とはなんであったのか。
ピエール・ブーレーズは「マルトー」を書いた後、ジョン・ケージとの関係を清算するように、その出会いのきっかけとなったものの、すでに長く離れていた古典の形式に立ち戻って、ピアノソナタ
第3番に着手し、1956年、それは完成されないままにされ、ブーレーズは口を開いた。
ドビュッシーについて
アルベール・ルーセルの追悼
「まずドビュッシーに感謝しなければならない。 フランス音楽を、革命的な、しかし今日では自明と思われる手法で、我々をその趣味と平衡感覚そして新たな言語でもってかつての伝統に引き戻し、ワグネリアンの手中から救ったのだから。和声の発見や霊感に満ちた大胆さ、そして独立という事の大切な教義より以上の、我々彼から学んだもの…
それは、トリスタンの燃える熱情と春の祭典の恐るべき爆発、その二つの間に、牧神の午後のフルートの攪拌が齎した不滅の声であった。」
アルベール・ルーセル(作曲家)
フランス人といえば
子供のころの事、テレビで見た数人の、日本語を話すフランス人の印象がほとんどで、間抜けなVTRをみたあとで「私の国ではありえません」「フランスでは、このような行為は軽蔑されます」とか言っていて… そんな暑苦しいフランスという国はイヤだと思っていた。 “優しい国への旅” の続きを読む