ショスタコーヴィチ、最後のソナタ

なぜ月光なのだろう…

ずっと考えていた。 ターンタターン、ターンタターン ショスタコーヴィチがその語りつくせない人生の一番最後に完成させたヴィオラとピアノのためのソナタ、その最終楽章がずっと月光のモチーフで埋め尽くされているのだ。
ショスタコーヴィチの晩年。1973年10月、3歳年上の姉マリーヤが死んだ。1974年1月、レフ・オボーリンが死んだ。同年6月、ロストロポーヴィチ夫妻が亡命。同年10月18日、ベートーヴェン四重奏のチェリストが四重奏曲 第15番のリハーサル途中に突然死んだ。そして同10月24日、オイストラフが死んだ。

1974年の夏から年末にかけて、ショスタコーヴィチは晩年のヴォルフと自身を重ね合わせるように「ミケランジェロのソネット」を作曲して、翌年5月にドストエフスキーの悪霊を題材にした歌曲を書いた。そして6月にはヴィオラソナタの着想を得たとして、ドルジーニンに技術上のアドバイスを求めている。

1875年7月末、作曲家自身が「光り煌めく音楽」と説明したヴィオラソナタは完成された。そして癌に侵されていたショスタコーヴィチは心臓発作に倒れ、8月9日に死んだ。10月1日、ヴィオラソナタはドルジーニンによって初演された。静まり返るホール全体に、月光のモチーフが鳴り響いて、消えていった。

なぜ月光なのか。 2018年6月30日、外では雷が鳴っている、カフェ・モンタージュでショスタコーヴィチのヴィオラソナタのリハーサルをやっとの思いで聴きながら、これで雨が降ったらどんな気持がするだろうと思った時に「雨の歌…」とささやく声を聴いた。

あめあめ ふれふれ Walle, Regen, walle nieder…. ターンタターン…
本当だ…これは雨の歌だ。…その瞬間、様々な紐がほどけていった。
これが最晩年のヴィオラソナタであること。この月光の第3楽章を「明るくて、そして透明な音楽」とショスタコーヴィチが説明したこと。

明るい曲を書いては「暗くてどうしようもない音楽」と懸命に説明し、次々とインスピレーションが沸いて、「これで最後。もう何も出てこないよ。」と言って作品を出版社に送り付けたそのあと、間髪入れずに連続で不滅の名作を書いたブラームスが、そこに立っている。

果たして、ショスタコーヴィチが「雨の歌」をモチーフに書いているときに、それが「月光」であることに気が付いたのか、とか、まさかそんなことはないと思う。彼にとって作品中の全てがすでに自明であったはずで、その全てがひとつに鳴り響く中では、明るいも暗いも、何の変わりのあるはずがない。

ヴァイオリンソナタで有名な「雨の歌」は、もともとはブラームスの友人グロートの詩による歌曲で、雨の音がいざなう追憶がその中で歌われている。

雨だれの音の中で聴いたあの歌
あの甘くしっとりとした雨音の中
子供の頃に抱いた敬虔な畏れに
じっと身を浸していたい

 

時折ヴィオラのグリッサンドが発するワルキューレのような叫び、そして最後のページ、雲の晴れ間から顔を出すように2台のピアノのための組曲 作品6の引用が立ち現れる。これは1922年、16歳のショスタコーヴィチが父の突然の死に際して書いた音楽であった。

清らかな湖上にゆれる小舟より仰ぎ見る 月の光は明るく煌めいている
ショスタコーヴィチはその思い出の地に帰り、翌年に盟友ベンジャミン・ブリテンが死んだ。月はまだ登ったままで降りて来ないようだ。

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2018年7月1日(日) 20:00開演
「D.ショスタコーヴィチ」
ヴィオラ: 鈴木康浩
ピアノ: 桑生美千佳
http://www.cafe-montage.com/prg/180701.html