ブルッフの新作

作曲家マックス・ブルッフは1838年、つまりブラームスより5年後に生まれ1920年、つまりブラームスより23年あとに死んだ。

ドビュッシーが死んだ1918年、80歳のブルッフにベルリン大学から神学と哲学の名誉博士号が贈られた。その授賞式の翌日、ベルリン音楽院の芸術アカデミーにおいてコンサートが催された。その場でブルッフを讃える演説をしたのが音楽院長のヘルマン・クレッチュマルだという。

ヘルマン・クレッチュマルは、言わずと知れたトーマス・マンの「ファウスト博士」に登場するクレッチュマル先生のモデルとされている。
名前が同じ上に、彼がライプツィヒ音楽院の院長であり作曲家教授であった1887年から1890年が、「ファウスト博士」の主人公がクレッチュマル先生に師事した時期(第20&21章)と重なるということである。

小説のクレッチュマル先生は主人公レーヴェルキューンに唱えた後期ベートーヴェン論で有名だが、実在のヘルマン・クレッチュマルは1900年に設立された新バッハ協会 Neue Bachgesellschaft の初代会長であり、ドイツで「歴史コンサート」や「バッハ・コンサート」と銘打ったシリーズを新規開拓し、ディルタイの「解釈学」のようなものを音楽に取り入れた最初の人だという。

「解釈学」… ?ディルタイからハイデガーを経ても、我思う故に我ありという言葉は、いまだに感情的な議論を生むほどに強い。
でも物語の世界においては、思う主体がそもそも「我」ではないということが、ごく普通の感覚として受容されている。思いや疑いは誰のものか、それを所有する「我」がどこに存在するだろう?

マックス・ブルッフはベルリンでの受賞の後、親友ヴィリー・ヘスのために3曲の弦楽五重奏曲を書いた。ヘスはヨーゼフ・ヨアヒムの後継者であり、アドルフ・ブッシュの先生としても知られる大ヴァイオリニストだ。

弦楽五重奏のうちの2曲は1918年のうちに書かれ、しかし失われた。
もうひとつ1919年に書かれたものは弦楽八重奏曲として1920年に改作されたが、ブルッフはその年に死に、その弦楽八重奏曲も失われた。
いずれも第二次大戦中の焼失といわれている。

これらの3曲のうち、イ短調の弦楽五重奏曲と弦楽八重奏曲の写譜が1988年に発見され、変ホ長調の弦楽五重奏曲も1991年にやはり同じ写譜の形での存在が明らかになった。
これら3つの写譜は1938年、つまりブルッフの生誕100年を記念するイギリスのBBCによる企画のために、自筆譜をヴィリー・ヘスから譲り受けていたブルッフの義理の娘ゲルトルート・ブルッフが写譜してBBCに預けたものであったとのことである。
まず1937年7月に八重奏曲、10月にイ短調の五重奏曲、そして生誕100年の1938年2月に変ホ長調の五重奏曲がBBCラジオで一度ライブ放送されたという記録がある。そのあと、それらの写譜はBBC資料の奥底にしまい込まれたが、ブルッフの伝記を書いたフィフィールドらの調査の末に上記のごとく日の目を見て、全てめでたく出版された。

ブラームスと同じ時代を生きた大作曲家ブルッフの新作発表。
死後およそ70年を経ての出来事であった。

 

 

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2023年6月19日(月) 20:00開演
「弦楽五重奏」- BRUCH AND MENDELSSOHN
ヴァイオリン:田村安祐美
ヴァイオリン:塩原志麻
ヴィオラ:小峰航一
ヴィオラ:丸山緑
チェロ:ドナルド・リッチャー

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