再会と、別れと

私たちは再会した。
私たちは、また別れなければならないのだろうか。

100年前に書かれ、その分野として最高峰とされている作品が、まだ一般に聴かれるに至っていないとすれば、それはどういうことか ……
冷静に考えてみると …… それは、たぶん普通の事なのだ。

なぜなら、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲が一般に聴かれるようになったのはいつのことだろうか、と考えてみても、やはり100年はかかっている。

音楽を形作っているものの匿名性。
聴くものに作曲家自身の感情を直接生じさせないこと。なぜそうしなくてはいけないのかということを、ブラームスほどに意識していた人がいただろうか。

音楽の感動は、再会の感動だ。
はじめに音楽は、人に感情を芽生えさせた。人はそれに気が付かないけれど、その瞬間から人の心には穴があいてしまった。そしていま、様々な巡りあわせの中で聴いている音楽の途中で、突然、自分の心に穴をあけたあの感情を生み出したものに出会うことになるから、人は感動するのだ。

シェーンベルクも、やはり音楽によって人を感動させたいといって空に向かい、壮大な雲を発生させていた。
たくさんの雨が、人と人の間を通り抜けていった。
すでに感動の体系が失われてしまった世の中では、自分の音楽の中に再開の場所を作ることは出来ないと思われた。

シェーンベルクは、自分の音楽を聴く人が、いつか自分の力で再開の場所を探すことが出来るようにと願った。そのためにシェーンベルクは和声学の大きな地図を作成した。そして、ブラームスを訪ねるようにと書き記した。

現代を認識することでしか訪れることの出来ない過去、そこに巡礼する日々が、音楽と感情の間に一日一日と刻まれるようになって、もうどれだけの時間が経ったのだろう。

1927年にシェーンベルクが作曲した、12音技法による初めての弦楽四重奏曲を、ひとつの再会の物語として聴くことを、自分は確かに教えてもらったことがある。

「私にとっての、完全な世界地図」とヴェーベルンは語った。
シェーンベルクが12音技法による作品を書き始めた1921年から、来年で100年になる。

私たちはまた別れることになるかも知れない。
そして、また会うことが出来るだろうか。

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エンヴェロープ弦楽四重奏団 第2回公演
2020年6月28日(日) 17時開演
https://www.cafe-montage.com/prg/beethoven1.html