芸術は社会に必要なものである、といわれても。
街にあふれかえっているかと見えるような芸術行為のほとんどは自分には関係ない。図書館にあるほとんどの本が自分には関係ないのと同じことで、それらは誰でも自由に手に取れるものであるのに、そのほとんどに触れずにこれまで生きてきた。
あれらの本のいずれかが、今後こちらに手招きをすることがあるのだろうか、と考えてみる。手招きをされるようなことがあれば、自分はその本を手に取って、パラパラとめくってみて、たまたま目に映った文字なり写真なり、その並び方でも何でもが自分の気分にあうと思ったら、とりあえず借りてみるかもしれない。
その借りた本を最初から最後までちゃんと読むことも、また稀であることを知っているのだけれど、たまに運命的な出会いがあって、ハイウェイが目の前にずらずらと引かれて、気が付くと自分は車の中にいて、しばらくはその本に導かれるままに生活するようなことになる。
その車の中では何もかもが新鮮で、それなしには何も考えられない。
ただ必要なのではない。それなしには生きられないのである…
そのようなものを作り出さなければ、芸術に居場所はない。
しかし、そのようなものに出会うことは本当に稀であって、つまり芸術の居場所など、この世にはほとんどないはずなのである。
そのようなものを作り出さなければ、芸術に居場所はない。
しかし、そのようなものに出会うことは本当に稀であって、つまり芸術の居場所など、この世にはほとんどないはずなのである。
芸術の居場所を作る。
人の生きがいになるようなものを作り上げなくてはいけない。それには一つの特別な公演があるだけではいけない。誰でもが取れる形で棚に並べてあるたくさんの本のように、たくさんの公演を並べて、これまで出会いのなかった人が、そのいずれかの前で立ち止まってくれるようにモンタージュする。
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2015年2月6日(金) ~ 22日(日)
「20+1世紀音楽祭」
http://www.cafe-montage.com/20plus1.html