エドワード・エルガーは、英国はウスター州の田舎町に楽器屋さんの息子として生まれ、子供のころに母から渡されたアメリカの作家ロングフェローの小説「ヒュペリオン」を生涯愛読し、その主人公であるフレミングの恋愛観に共感し、フレミングの傷心旅行の舞台であるドイツに憧れていた。
パレストリーナにバッハ、ハイドンからワーグナーまでのあらゆる音楽を研究していた若きエルガーは、田舎町のアマチュア楽団のコンサートマスターをつとめ、時には指揮をして、楽団のためにワーグナーやベートーヴェンの作品を編曲したりしていた。彼の最初の作品はこの時期に生まれている。
ウスター州の田舎町から汽車に乗って、ロンドンで当時最高のヴァイオリン教師とされたポリッツァーのもとに通っていた18歳のエルガーは、その腕を認められ、ロンドンに住んで研鑽を積むようにと提案されたが、田舎暮らしが自分の性に合っているとして汽車に乗り続ける生活をやめなかった。
だんだんにポリッツァーは、汽車に乗って自分のもとに通うエルガーのヴァイオリンの腕だけではなく、その音楽に対する理解の深さに驚嘆するようになり、「もしかして作曲をしているのか?」と尋ねた。エルガーからその若書きの作品を見せられたポリッツァーは、ある指揮者をエルガーに紹介した。
ロンドンの水晶宮でコンサートのシリーズを取り仕切っていた指揮者のアウグスト・マンスは、エルガーを暖かく迎え入れ、エルガーは当時イギリスで紹介されることの少なかったブラームスやラフ、ドヴォルザークなど、さまざまな同時代の作曲家の作品に触れる機会を与えられた。
エルガーは作曲の勉強に励んだ。交響楽の理想をモーツァルトに求め、有名なト短調交響曲KV550の小節数と和声進行をノートに詳細に書き留めて、楽器編成も含めて枠組みのまったく同じ交響曲を作曲するという課題を自分に課して、何パターンもの習作を書き上げていた。
田舎町のオーケストラへの貢献として、音楽仲間たちから表彰とともに上等のヴァイオリン弓をもらったりしたエルガーは、お金の許す限り汽車に乗ってはロンドンに出向き、クララ・シューマンやビューローのピアノ、そしてヨアヒム四重奏団の演奏で聴いたロベルト・シューマンの作品にのめりこんで行った。
そして、今度はハンス・リヒターの指揮でベルリオーズとワーグナーの作品を聴いたエルガーは、もう自分の進むべき道を理解し始めていた。1882年、25歳になっていたエルガーはクリスマスの休暇を利用して、念願であったライプツィヒへの旅行を敢行した。
ライプツィヒにはヘレン・ウィーバーというヴァイオリンを学ぶ女学生がいた。ヘレンはエルガーと同じウスター州育ちで、いつしかエルガーにとっての愛しい人となっていたのだが… 25歳のエルガーはとにかくたくさん演奏会が聴きたいといって、ヘレンと同じ宿に部屋を取った。
ライプツィヒでエルガーは、毎朝9時にゲヴァントハウスに赴き、オーケストラのリハーサルを聴いた。ハイドンとブラームスの交響曲、ワーグナーとルビンシテインの歌劇、そして理想としていたシューマンによる交響曲や協奏曲など、数々の作品に触れて、その興奮は最高潮に達していた。
ヘレン・ウィーバーとエルガーは婚約し、でもそれは成就せず、ヘレンはエルガーをおいてニュージーランドへ旅立っていった。エルガーは、それまでに触れた全ての音楽を吸収し、ゆっくりと吐き出し始めていた。
エルガーは32歳になった。アリスという生涯の伴侶を得て「愛の挨拶」を作曲。40歳を越えて「エニグマ変奏曲」そして「ゲロンティウスの夢」を世に送り出し、当代きっての大作曲家という称号をほしいままにしたエルガーの活躍は「威風堂々」、そして「交響曲第1番」と「ヴァイオリン協奏曲」において頂点に達した。
エルガーはその見事な管弦楽法によってシュトラウスやリヒターを含めた多くの音楽家から最高度の称賛を受けたが、同時にブリティッシュポップの根底を作り上げた作曲家ともいえる。ほぼ唯一といえる旋律を創出する才能、そしてコラージュの手法による綿密なプロダクションと録音技術への傾倒。
エルガーは、1960年代にアビーロードのスタジオで行われていたような切り貼りの編集を譜面の上で行い、キャッチーなメロディと異空間に誘う音響効果を幾層にも織り込んで、すでにサイケデリックな時間感覚をも生み出しており、しかし最終的には精緻を極め且つ直線的で明快なパッケージを施して世に出した。
1918年、エルガーは3つの室内楽曲を生み出した。ヴァイオリンソナタ 作品84はその中で最もシンプルな形式で、管弦楽法の達人、そしてポップミュージックの創始者としてのエルガーの手腕がひときわ明快に発揮されている、魔法のような傑作である。
エルガーは晩年、予てからの趣味であった化学実験に没頭した。ここにもエルガーのコラージュ趣味があらわれていて、もともとは別々に存在する物同士を反応させて、予期しない形の有機物を作る作業、そして物質の組織の様子を顕微鏡で覗くことにいつまでも飽きない様子であったという。
ところで、悪趣味の中から最高度の洗練が生まれるということが、ポップミュージックの元祖イギリスにはあって、グロテスクな映画を作ることで知られたイギリスのケン・ラッセル監督が、作曲家エドワード・エルガーについての1時間ほどの、不思議に美しい伝記映画を残している。
その中で、自分の知らないところで巨大化した「威風堂々」のメロディーに追いかけられるエルガーの様子が描かれているのだが、そこに、永遠の旋律を書いてしまったポップミュージシャンの影を重ねることが出来る。
Isn’t he a bit like that Nowhereman…?
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’17年1月21日(土)20:00開演
「E.エルガー」
ヴァイオリン:松川暉
ピアノ:鈴木華重子
http://www.cafe-montage.com/prg/170121.html