サンサーンス 大きすぎて見えない

いずれも1850年代、サンサーンスがまだ20歳前後だった時の話。

時の大ソプラノ、ポーリーヌ・ヴィアルドーとサンサーンスの共演で演奏されたシューベルトの『魔王』はパリで大センセーションを起こした。

サンサーンスは交響曲『レリオ』をピアノ版に編曲して、晩年のベルリオーズのお気に入りになった。その後ツアーにピアニストとしてついていったサンサーンスは、シャンパンとコーヒーとタバコの大量摂取を老巨匠に我慢させるのに苦労したという。でも、老巨匠はいずれも大量に楽しんだ末に死んでしまったという。

ソプラノ歌手ヴィアルドーの紹介でサンサーンスに会ったロッシーニは、即座に彼を気に入り、以来サンサーンスはロッシーニの催す夜会の定連ピアニストとなった。

パリに来たリストは、サンサーンスのピアノとオルガン演奏に驚嘆して、以来彼の作品であれば何にでも興味を持ち、生涯にわたって彼の支持者となった。「もはやピアノの演奏を理解するものは、ヨーロッパにはたった二人しかいなくなった。私とサンサーンス‥」という名言が残されている。

ワーグナーはタンホイザー公演の為にパリを訪れた際、リストとフォン・ビューローの勧めでサン・サーンスに会いに行った。ワーグナーはそこでサンサーンスがシューマンの交響曲をピアノで演奏するのを聴いた。そのあとワーグナーに招かれたサンサーンスは、彼の家で『ラインの黄金』や『トリスタンとイゾルデ』を、ワーグナーが横で歌うのを聴きながらピアノを弾いていた。「彼はどのような複雑な譜面でもたちまちにピアノで弾いてしまい、トリスタンも直ぐに覚えてしまい、勝手に主題を抜いたり足したりして演奏していた…」とワーグナーはため息交じりに語った。

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これほどにヨーロッパ的な大作曲家がかつてフランスにいたかどうか。
サンサーンスの室内楽作品が、まだこれから解明されていくべき分野として残されている。

しかし、彼の作品をどのように聴けばよいのだろうか
サンサーンスは、1905年に完成した自身のチェロソナタ 第2番について言っている。

「”La nouvelle école”において、音楽家がこぞって全音階に向かって大急ぎで走る中、ただ私だけが音楽の真の優位性をこの新しいソナタの中に注ぎ込んだのだ。私は古ぼけたチョコレートだというわけだ」

La nouvelle école=新楽派といえば、音楽においてはかつてリスト周辺の音楽家たちが標榜した「新ドイツ楽派」を意味し、ブラームスとヨアヒムが保守的だとしてとった態度の事であった。かつてはブラームスにおそいかかった新楽派を、印象派(ドビュッシー)に例えるサンサーンスの気持ちはどのようなものであっただろう。

互いに2歳しか年齢の違わず、とりまく状況からもお互いの作品を知らないはずのないドイツとフランスの両巨匠。
近しい存在であったフォン・ビューローやチャイコフスキーがそれぞれにブラームスに対する態度をはっきり決めていたのとは違って、サンサーンスはほとんどブラームスについては語らなかった。

サンサーンスがチェロソナタをヘ長調で書いたことと、第2楽章がシャコンヌもしくはパッサカリアと思しき変奏の形式をとっていることなど、ともに「新楽派」に取り囲まれた彼らの秘かな結びつきをここに見出すことが出来るのであれば、サンサーンスの室内楽の中に古典主義を越えた世界の広がりを見出すことが出来るのではないか。

巨大すぎて見えない。

かつて世界がまだ存在した時に、すでに見失われていた大地。
音楽でしか辿り着くことのできないその場所への道標を、サンサーンスはきっと遺してくれているのだ。

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2019年12月26日(木) 20:00開演
「C.サンサーンス」 – チェロソナタ
チェロ: 海野幹雄
ピアノ: 後藤真利子
https://www.cafe-montage.com/prg/191226.html