1859年、パブロ・サラサーテがサンサーンスを訪問した。
神童として名を馳せ、2年前にパリ音楽院を首席で卒業してソリストとしてすでに有名になっていた15歳のサラサーテは、24歳の作曲家に向かって何か自分のために書いて欲しいといった。サンサーンスはその場で快諾すると同時に、その作品がイ短調の小さな協奏曲になるだろうと15歳のヴァイオリニストに言った。
ほどなくして生まれたヴァイオリン協奏曲は、予告通り全3楽章を切れ目なく演奏して12分ほどの小さな作品であったが、ニ長調の中間楽章がおそらくはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲 ニ長調(1878)1859年、パブロ・サラサーテがサンサーンスを訪問した。
神童として名を馳せ、2年前にパリ音楽院を首席で卒業してソリストとしてすでに有名になっていた15歳のサラサーテは、24歳の作曲家に向かって何か自分のために書いて欲しいといった。サンサーンスはその場で快諾すると同時に、その作品がイ短調の小さな協奏曲になるだろうと15歳のヴァイオリニストに言った。
ほどなくして生まれたヴァイオリン協奏曲は、予告通り全3楽章を切れ目なく演奏して12分ほどの小さな作品であったが、そのニ長調の中間楽章がおそらくはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲 ニ長調(1878) に直接的な影響を与えている。(サンサーンスがチャイコフスキーと初めて会い、意気投合したのは1875年のモスクワにおいてであった。)
時はまだワーグナーがパリに来る2年前のこと、すでにストラヴィンスキーの出現までを予言していたこの作品は先進的に過ぎたのか、およそ10年後の1868年にヴァイオリン協奏曲 第1番 op.20として出版された。
サンサーンスの音楽の先進性については、セザール・フランクの初期作品と同様、まだこれから明らかにされていく分野に入るが、例えばピアノ協奏曲 第3番の緩徐楽章はこれが1869年に作曲されたフランス音楽であるとはにわかに理解できない。実際この作品はライプツィヒで初演されたのは、その大胆な和声進行に客席が大きくざわめいたということである。
いずれ世紀末がサンサーンスに追いついた頃、サンサーンスの音楽はすでに第1次大戦に向かう20世紀のヨーロッパを映していた。将来に読み解かれるべき暗号の中に、失われゆく偉大な時代を描いたヴァイオリンソナタ 第2番はサラサーテと作曲者によって初演されると同時にイザイの手に渡っている。
「イザイであれば、この作品を古典として受け取るだろう」
世紀末が終わり、サンサーンスは自らを20世紀の作曲家だと名乗ろうとせず、遠くフランツ・リストを懐かしんだ。
「ああ、私はもう二度と再び、あの演奏に匹敵するようなものを、見たり、聴いたり、しますまい…」
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2019年12月20日(金) 20:00開演
「C.サンサーンス」 – ヴァイオリンソナタ
ヴァイオリン: 高木和弘
ピアノ: 宮庄紗絵子