楽長クライスラーはとある晩、枢密顧問官レーダーライン家で催された茶会に、極上のワインと最高の珍味を求めて赴き、そこでレーダーライン家の娘、たまに四分の一音低くなる歌声にピアノ伴奏をつけるうちに、だんだん歌声はサロンの雰囲気を越えて大曲のアリアを求め、ピアノもそれにフォルティシモで応じた。
弦が数本切れ、鍵盤もおかしくなって、茶会はギリシア音楽に突入。歌い手それぞれが四分の一音高く、もしくは低く歌うユニゾンは、テーブルでカード遊びに興じていた人々に恐怖となって感染し、茶会は盛大に終了した…はずであったところに大聖堂参事会員が楽長クライスラーにひとつのリクエストをした。
幻想曲を一つ!楽長クライスラーは、今日の幻想曲は終了したと固辞したが大聖堂参事会員は、それではこの軽い変奏曲を、と一冊の楽譜をクライスラーに手渡した。
では聴くがいい。そうしてクライスラーはバッハのゴルトベルク変奏曲を冒頭から弾いた。
…以上は、E.T.A.ホフマン著の「クライスレリアーナ」に書かれている一場面。楽長クライスラーは、第30変奏が終わるころには誰もいなくなったサロンで、最後のアリアを弾いた後、楽譜の最後に和声の数字を書付け、さらに新たな変奏に興じ、サロンの蝋燭も消えて真っ暗な中、延々と演奏を続けていた。
シューマンの「クライスレリアーナ」に、クライスラーが書き付けた和声と、それに続く変奏が含まれているかどうか。それは分らない。ホフマンが「クライスレリアーナ」を書いた1810年にはすでに「ゴルトベルク」の出版譜は出回っていて、誰でも普通に手にすることのできる作品であった。
「ゴルトベルク」はベートーヴェンが好み、フランツ・リストとその弟子が演奏し、ブゾーニが自身の版を編み、1933年にはランドフスカによって画期的な録音が成され、1955年のグレン・グールドによるピアノ録音によってクラシック音楽の枠をはるかに超えて広く認知された。
ヴァイオリンとヴィオラ、そしてチェロによる版では「ゴルトベルク」の声楽の要素が一段と発揮され、あたかもストーリーの上に展開されたドラマのようである。バッハはオペラを作曲しなかったけれど、精巧なパントマイムの音楽劇を目の前にしているような贅沢がここにはある。
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