Holbergの時代から

京都府立図書館でノルウェー文学の祖といわれるホルベルクの書いたものを何か読もうと思ったら「デンマーク文学作品集」という本しか見つからない。

1380年から1814年まで、ノルウェーはデンマーク王の統治下にあった。
つまり、ほぼ500年にもわたってノルウェーはデンマークだったらしい。
そんなに単純なことではないかもしれないけれど、ハムレットはそんなまだ大国であった時代のデンマーク王子の話なのだ。
そのハムレットの死に際にデンマーク王に名乗りでるフォーティンブラスはノルウェーの王子だが、そのあとどうなったのかは誰も知らない。

デンマークではホルベアと発音するらしい。
ここではノルウェー流にホルベルクと呼ぶことにする、そのルドヴィク・ホルベルクは1684年生まれで1754年まで生きた。
ということは、J.S.バッハ (1685 – 1750)と同時代の人だ。

手に取るとズシリと重い「デンマーク文学作品集」は1976年の出版。
ホルベルクのページを開くと早速以下の文面が目に飛び込んでくる。

1380年から1814年までデンマークとノルウェーはデンマーク王の下に統一されていた。この連合王国の最大の産物がルーズヴィ・ホルベアである。

― 「デンマーク文学作品集」東海大学出版会

500年の中で、最大の産物・・・そんなにすごい人なのか。
500年といえば江戸時代(1608-1868)のほぼ倍だ。
江戸の最大の産物といえば誰だろう?すぐには頭が追い付かない。
そんなのがいたところで、その倍の強さの産物などありえるのだろうか。
胸が苦しい。
やはりバッハか?
バッハなら500年で最大といわれても仕方がない。
江戸は関係なくなったけれど、気持ちが少し落ち着いてきた。

「デンマーク文学作品集」にはホルベルクの戯曲の抜粋が掲載されている。その戯曲の次のページにはホルベルクの『教訓的思索』が掲載されていて、
戯曲と合わせてもたったの20ページしかない。これが京都の図書館で読むことのできるホルベルクの全てというわけである。
読み物として面白いという部分を味わうことはできても、「500年間の最大の産物」ということの意味をこれだけの抜粋で推し量るために、自分にどれだけの教養が必要だったのだろうかと考えると、また気が遠くなってくる。たとえば明治時代の言文一致が果たした「事の大きさ」のようなものが戯曲抜粋の中に示されているとしても、今の自分はそれを読み取ることはできない。おそらくホルベルクの業績にはそれどころではなく大きなものがあるに違いない。でも、今の自分にはわからない。

ホルベルク生誕200年祭のカンタータの作曲依頼を受けたグリーグは、はじめその仕事に乗り気ではなかった。でも、せっかくだから著作に触れてみようと思い立ってホルベルクを読んでみたらしい。

実のところ、以前は彼(ホルベルク)をまったく知りませんでした。歴史、倫理観、人生最大の問いについての彼の見解は、私には馴染みがありませんでした。今ようやく、彼は私の知る限り歴史上で最も広い視野をもつ一人であったということがわかったのです。

― ダール著・小林訳『グリーグ その生涯と音楽』 音楽之友社

その「事の大きさ」をたちまちに了解したらしいグリーグは、カンタータを仕上げた後で、誰からも頼まれていない大作、ピアノのための「ホルベルク組曲」を書き上げた。
この組曲を聴いて、音楽が伝えてくれることの大きさでホルベルクの偉大を推し量るしか自分には道がないのではないだろうか。
そう考えた。

グリーグは、ホルベルクの大きさを自分の時代の音楽では表現できないと思ったのだろうか。ラモーやクープランを思わせる五楽章の組曲として、いまある感情表現を模索するのではなく、感情のもとをゆっくりと辿っていくような音楽を書いた。

Praeludium
Sarabande
Gavotte
Air
Rigaudon

それは、メンデルスゾーンがバッハを再演したのとはまた違う意味における、偉大なる時代の発掘作業であった。

そこでグリーグは、とても印象深い一言を口にした。

自分の個性を隠す、本当に良い練習

― ダール著・小林訳『グリーグ その生涯と音楽』 音楽之友社

ドビュッシーやラヴェルを飛び越えて、戦後前衛にまで達するような飛躍がそこにはある。

たとえホルベルクの偉大をそのままに知ることはできなくても、ワーグナーの死の翌年にこの作品が生まれたことの意味とグリーグの天才について、ここで触れることが出来るかもしれない。

生誕180年の今年になるまで、グリーグを知らなかった。
彼の「ホルベルク組曲」は、おそらくホルベルクの存在がそうであったように、のちの全ての時代、全ての人に向けて開かれた音楽だ。

今ようやく、聴くことが出来る。

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2023年5月28日(日) 20:00開演
「グリーグの肖像」VOL.2
ヴァイオリン:正戸里佳
ピアノ:岡田将

E.グリーグ:
組曲「ホルベルク組曲」 op.40
ヴァイオリンソナタ 第3番 ハ短調 op.45

https://www.cafe-montage.com/prg/230528.html