消え去らない熱風

1845年に書かれたメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲 第2番 作品66の冒頭は、ピアニッシモではじまる。
これが、メンデルゾーンがスコットランドで触れた”オシアン”の空気を表現しているのだ・・といわれても、いまいちピンとこないのはおそらく自分がこの作品を実演で聴いたことがないからかもしれない。

そもそも”オシアン”とは… ?

オシアンというのは、ロマン派を席巻していた伝説ブームを象徴する古代スコットランドの英雄の名前で、ゲーテもシューベルトもその魅力のとりことなっていた。ロマン派の伝説的な雰囲気…例えばシューベルトの「未完成」交響曲の冒頭、大空を何かおおきな飛翔体の翼が覆い尽くすのを全身で感じるようなあの雰囲気のことを「オシアン」と表現すれば何かが通じたことになるらしい。メンデルスゾーンの作品でいえば「フィンガルの洞窟」がその代表だという。

早速、はじめの1分ほどを聴いてみよう。

なるほど…、では「未完成」の冒頭も1分程…

なるほど、、、 それではピアノ三重奏曲に「オシアン」を聴くことが出来るかどうか、ほんのはじめだけを聴いてみよう…

…………………………!!!!!

有名なコラ画像とのことです

1842年、つまりシューマンが取り憑かれたように室内楽曲を書きだした頃、メンデルスゾーンはベルリンにいて新しい交響曲を仕上げてオペラか何かを書こうと色々な台本を漁っていた。『サッフォー』や『ゲノヴェーヴァ』が候補にあがりながら、『ゲノヴェーヴァ』については「主人公の行いやドラマ中における役割そのものよりも、主人公が受けた仕打ちの方に興味が行ってしまうから」という理由で採用は見送られた。

その11月、メンデルスゾーンはライプツィヒを訪れ、新しい交響曲をシューマン夫妻にピアノで聴かせた。この交響曲はメンデルスゾーンがローマにいる時に書き始められたのだと、シューマンはある人から聞いて知っていたから、これは「イタリア的な」作品だといって褒めた。その交響曲は今では『スコットランド』と呼ばれている。

当時の聴衆は「オシアン」の雰囲気には敏感で、メンデルスゾーンは何も自分では説明していないはずなのに、あの交響曲を聴いただけでそこに「オシアン」を感じ『スコットランド』と副題をつけたというのだ。それなら、シューマンがそこに聴いた『イタリア』は何であったのか。

メンデルスゾーンがずいぶん以前に完成させていながら、まだ出版されていない素晴らしい交響曲の存在をシューマンは知っていた。
メンデルスゾーンが「オシアン」のピアノ三重奏曲を書いた1845年、シューマンはハ長調の交響曲 第2番を書き始め、なんということかその第4楽章にメンデルスゾーンの未出版の交響曲の第1楽章を大胆に取り入れた。
結局メンデルスゾーンの存命中には日の目を見ず、没後の1851年にようやく出版されたその交響曲は今では『イタリア』と呼ばれている。

メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲 第2番 作品65の「オシアン」冒頭には、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ 第2番のアレグロがやはりピアニッシモで伴奏形に組み込まれている。メンデルスゾーンはその直前にバッハのカンタータを組み込んだ『オルガンのための6つのソナタ』 作品65を出版したばかりで、それをみたシューマンはすぐに『BACHの名前による6つのフーガ』というオルガン作品を書き、それを自身の作品60、そして交響曲を作品61とした。

ちなみに冒頭のバッハのソナタ伴奏というのはこの部分のこと。その冒頭部分だけを聴いてみよう。

さて、交響曲 作品61のあと、ほとんど作品を書かなかったシューマンがようやくピアノ三重奏曲 第1番 作品63をドレスデンで書き始めたのは、メンデルスゾーンが死ぬ1847年のことであった。実はその年、シューマンはひそかにオペラを書き始めていた。ニーベルング伝説やローエングリン、歌合戦の話やトリスタンとイゾルデを候補にして、同じドレスデンにいた友人ワーグナーにも相談などしながら、結局はメンデルスゾーンがかつて見送った「ゲノヴェーヴァ」を題材にした。
ワーグナーは、「ゲノヴェーヴァ」はとても良い台本だからあきらめずに頑張って欲しいと励ましていた。
「ゲノヴェーヴァ」は1849年になってようやく完成し、その前にワーグナーは「ローエングリン」を完成させていた。

シューマンが「オシアン」を作品に深く取り入れ始めたのはメンデルスゾーンの死後のことで、その情熱は晩年に出会ったブラームスに伝染した。
ブラームスがバラード 作品10の冒頭に「オシアン」を配置したことは有名だが、その前に作曲したピアノ三重奏曲 作品8の中には「オシアン」が溢れかえっていた。その作品は、いまでは1889年にブラームス自身がその「オシアン」部分をほとんど省いて再構成したものが演奏されている。

ロマン派を語るときに、どちらを向いても避けては通れないはずの「オシアン」という英雄の名前が、どういうわけか音楽関係の書籍にはなかなか出てこないので、どうすれば出すことが出来るだろうかと思ってここまで書いてきた。

オシアンという名前がロマン派の熱狂を生んだのは、18世紀にイギリスのマクファーソンという人が発見したという古代スコットランドの伝説の登場人物としてであったが、このマクファーソンの「発見」というのが実は作り話だったのではないかという事態になって、問題を誰が解決することもなくその名前はだんだんに消えて行って、その雰囲気だけがこの嵐のような時代の文学や音楽の中に残されている。いつまでも消え去らない熱風だけが。

 
 
・・・・・・

2023年2月23日&24日 20:00開演
「F.メンデルスゾーン」- ピアノ三重奏曲 第1番&第2番
メルセデス・アンサンブル

https://www.cafe-montage.com/prg/23022324.html