名前は、フェリックス

新海誠作品の地上波連続放映があった、今のタイミングでしか書けないようなことを書きたい。

映画『君の名は。』はボーイ・ミーツ・ガールのお話であると紹介されることが多いけど、主人公の二人が出会う物語ではない。
ではどのような話かというと、彼らは「すでにどこかで出会っていたかも知れない」という物語だ。

すれ違っただけでお互いを意識してしまった二人が、すでにどこかで出会っていたとすれば、それはいつどのようにしてだろう。その答えは、さっきまで見ていたはずの、でも思い出せない夢の中にある。

この映画をはじめに観たときに、そういえば自分にもそのようなことがあった、と思いあたったことがある。

もう30年ほど前の事、何の用事だったかは忘れてしまったけど、夜遅くにタクシーに乗った時のことだ。
そのタクシーの中では、今考えるとなんだか不思議な気がするのだけれど、ラジオの歌番組がかかっていた。はじめは何となく聴いていた歌に、何かの瞬間に心をつかまれてしまった気がして、でも突然に「着きましたよ」という運転手さんの声とともにラジオの音は消えてしまった。茫然としながらタクシーを降りたあと、少しだけ聴きとることの出来た歌詞を何度か口ずさんで「覚えていよう」と、まさに恋をしてしまったような高揚感の頂点にいたはずなのに、ふとした瞬間に、その歌詞を忘れてしまったのだ。

どうしようもなかった。
そんなことがあってから、何か知らない歌を聴いて、心をつかまれそうになるたびに、その歌の面影を追いかけているような寂しい気持ちになることが何度もあって、もしかしたら今でもそうなのだろうかと、ぼんやり考えている。

だから映画『君の名は。』は、自分にとっては音楽と自分の関係性をひも解いてくれている寓話のように感じられて、ある音楽が時に乱反射して自分には関係のないはずの過去や未来を照らし映すときの感動や、出会えるはずのない夢の中の音楽と出会うことに憧れながら生きることを肯定してくれた、ありがたい映画なのだと思っている。

音楽との関係性と言えば、映画『君の名は。』にはひとつ忘れがたいセリフがあって、それは、

「お前さあ、知り合う前に会いに来るなよ……分かるわけねえだろ」

― 新海誠『小説 君の名は。』より

というものだ。

知り合う前に会いに来た音楽に対して、これまで自分はどのような態度を取って来ただろうか。

音楽「……覚えて、ない?」
自分「……誰?お前」
音楽「あ……すみません……」

と、やっぱりなるしかないのも、やはり音楽と自分なのだ。

しかし、ここでかなりややこしい話になってしまうのだけれど、映画『君の名は。』の主題は、実はまだ二人は”出会っていない”ということなのである。

はじめに書いたように、これはボーイ・ミーツ・ガールの話ではない。
全てが幻にしか過ぎず、やり過ごせばそれだけで消えて行ってしまうはずの感情が、まさにそれだけが人生における真実のようにして自分の人生に関わり合ってくるのはなぜか。われ思う故に、ベートーヴェンは偉大であるのか、何も考えなくても偉いのか。

ところで、メンデルスゾーンとシューマンは、共にある一つの使命を抱いていた。
クラシック音楽を「まずはバッハとモーツァルト、そしてベートーヴェン」という、冷静に考えればハードルの高すぎることが誰にでも分かるようなジャンルにしてしまったのは、この二人だと言っていい。
この点において、リストもワーグナーも彼らと意識を一にしていた。
彼らは若い頃ベートーヴェンが好きで、でも周りの誰もその話を聞いてく
れないことを憂い、わざわざウィーンに出かけて行っても「誰もベートーヴェンを弾いておらず、聴くことが出来ない」といって憂い、メンデルスゾーンに至っては「ゲーテでさえも言う事を聞いてくれない…!」という極限の状態の中で思春期を過ごしていた。

まだ、ほとんどの人が出会っていなかった音楽を、見たはずの夢の中に押し込んだのは誰だったのだろう。

その名はフェリックス・メンデルスゾーン。
このはじめの8小節だけでも聴いてみて欲しい。

これは、冷静に考えれば、ベートーヴェンの「悲愴ソナタ」の第二楽章なのだ。メンデルスゾーンはこの楽章の冒頭で

Dieses Stück darf durchaus nicht schleppend gespielt werden.

訳:この作品においては、全体を通して「足を引きずるように」演奏されてはならない。

と四人の奏者に直接の指示を出している。
そのように演奏され、そして聴かれるべき音楽の名前を指さしながら。

メンデルスゾーンが3曲作曲し、それに続いてシューマンがやはり3曲作曲し完成した合わせて6曲の弦楽四重奏曲は、彼らが見ていたはずの夢をいつも思い出すために残され、その意味において、いま世界に与えられている音楽の座標の第一稿ともいうべきものだ。

メンデルスゾーンが抱えていた悲しみを、シューマンは長く共有し、メンデルスゾーンの死後はその分も自分のものとして、10年ほどの晩年を過ごした。

全てはここから始まった、と気が付いたときに、夢はさめる。
自分が夢の中で聴いていた音楽はなんだろう。
この世のどこかに存在して、自分のために存在する音楽。
その名前は、

・・・・・

2022年11月7日(月) & 8日(火)
「シューマンを待ちながら」vol.7
メルセデス・アンサンブル
https://www.cafe-montage.com/prg/22110708.html