マルティヌーについて果たしてどのように説明すればいいのだろう。
彼について紹介されている文章を読んでも、いまいちピンとこない。
チェコに生まれ、
幼少から音楽の才能を発揮し、
10代で作曲を始めて
やがてドビュッシーに憧れるようになり、
パリに行って新古典とジャズに染まり、
パリのカフェで会った当時ボストン響指揮者のクーセヴィツキーに見出され
1932年には『弦楽六重奏曲』がクーリッジ財団の一等賞を授与され
68歳の生涯で実に400を超える様々な形式の音楽を作った。
作曲家としての順調なキャリアは理解できても、その音楽がどのように聴き手の自分に関わって来るのかというところが、よくわからない。
ドビュッシーが好きな人や、新古典、ストラヴィンスキーやバルトークが好きな人だったら
「マルティヌーもどうですか?」と紹介されると、なんとなく器用な作曲家というイメージしか持つことが出来ない。エルガーの音楽をブラームスと比べていた頃はなかなか真面目に聴くことが出来なかったけれど、エルガーにはエルガーにしかない魅力があると真剣に訴えてくる演奏なり、言葉なりがあって、はじめて自分は居住まいを正して、エルガーの音楽に向き合うことが出来た。
今年になって、ルドヴィート・カンタさんというスロヴァキア出身のチェリストが京都市交響楽団のメンバーと共演したマルティヌーの「弦楽六重奏曲」を聴く機会があった。ドヴォルザークの六重奏との組み合わせということで、なるほど故郷のプログラムを聴かせていただけるのだと思って、それは間違ってはいなかったのだけれど、演奏の順番が思っていたのとは逆だった。
つまり、マルティヌーの比較的短い作品が最初で、ドヴォルザークの大作が最後に来るのだと思っていたところが、その逆だというのだった。
小さな会場に六重奏のメンバーが集まり、ドヴォルザークの名品がその雰囲気だけではなく親しい言葉で語りかけてくる、こんな贅沢はない…堪能したそのあとで、カンタさんはマルティヌーの二重奏をヴァイオリンの杉江洋子さんと演奏した。その場に異様に張り詰めた空気が広まったところに六重奏のメンバーが舞台に呼び戻されて、マルティヌーの弦楽六重奏曲が演奏された。初めて聴く音楽のはずなのに、耳が音楽に吸い付いて離れない…、マルティヌーという作曲家に対して、自分は完全に居住まいを正すことになった。もっと、マルティヌーの作品を聴きたい。
ところで、マルティヌーとはどのような作曲家なのだろう。
あらためて調べてみても、なかなかあのコンサートでの体験を反芻できる言葉が出てこない。
ようやく、マルティヌー本人がインタビューで話した言葉が見つかったので、まずはそれを聞いてみることにしよう。
司会:あなたの場合、影響を受けたのは主にどういった音楽でしょうか?
マルティヌー:はい、おそらく三つあるようです。一つ目は自分の国、つまりチェコスロヴァキアの音楽。二つ目はイギリスのマドリガル。そして三つめがドビュッシーです。
司会:大変興味深いお話です。特にイギリスのマドリガルについてなのですが、あなたがその音楽形式に出会ったのはいつ、どのようにしてでしょうか?
マルティヌー:まだ第一次大戦が起こる前の事でした。イギリスのマドリガル合唱団がプラハに来て、その演奏を聴いたのですが、その音楽は大変に魅力的で私に絶大な印象を与えました。
司会:そこになにか特別なものがあって、あなたに訴えかけたという事でしょうか?
マルティヌー:はい、もちろん。そこにはポリフォニーの自由な形式があり、実際バッハのポリフォニーとは全く違ったもので、私には全てが新しく思えました。そして、それらのマドリガルは、質的にチェコの民謡を思い起させるものがあるということに私は気が付いたのです。
司会:でも、ドビュッシーについては、彼の音楽のどういった面をあなたは称賛していますか?
マルティヌー:ドビュッシーについては、その色彩であるとか、音楽の精神であるとか、断定することは難しいのですが、それはもちろん、特に彼の『夜想曲』を念頭においての話なのですが…。
(1942年 アメリカでのラジオインタビュー)
マルティヌー本人の口から「二番目」として、イギリスのマドリガルという言葉が出た。
そういえば、マルティヌーには「マドリガル」という二重奏曲があって、自分はそれをなんとなくパリで当時流行りだった新古典の影響とばかり思っていたわけだけれど、マルティヌー本人の話だと、彼はパリに来る前チェコにいた若き日にその形式に親しんでいたということになる。
ところでイギリスのマドリガル楽派とは、なんだろう。
ルネサンス期、イギリスではいわゆるエリザベス朝の時代に、イタリアからの独自の影響を受け、16世紀終わりから40年ほど続いた合唱音楽を指すらしい。
なるほど、マルティヌーのどこからともなく湧き上がってくるような独特の楽想には、ルネサンスのポリフォニーを思わせるものが、、!
といっても、ルネサンスの音楽についてほとんど何も知らないのに、どうすればいいのだろう。
イギリスのマドリガル…
“English Madrigal School”で検索すると、色々な名前が出てくる。
オーランド・ギボンズという作曲家の名前は、グレン・グールドが演奏していたから知っている。早速聴いてみるとしよう。
… 1月にマルティヌーの音楽を聴いたときに、そこにはそれまで録音で聴くだけではわからなかった著しい特徴があると感じていて、それは音の光線とでもいうべき、独特の輝かしさであった。民謡風な素朴な部分でも、ストラヴィンスキーのように複雑なポリリズム展開を見せる時でも、まるでその光が目の前に見えるような感覚があったのだ。でも、その特徴がマルティヌー作品のどういった特性からくるのかは、知ることができなかった。
はっきりと断定するにはまだ早い気もするけれど、ギボンズの合唱から感じられる、こう言っていいのかどうかわからないけれど、どこか”Glorious”な輝かしさに、マルティヌーの光は似ているように思うのだが、どうだろう。マルティヌーの弦楽四重奏曲 第2番の冒頭には、ギボンズのマドリガルを思わせる何かがないだろうか。
もうひとつ、この輝かしさを持つ音楽を自分は知っているような気がした。
それは、同じくエリザベス朝期のダウランドを20世紀に移し替えた天才、ベンジャミン・ブリテンの音楽だ。
ベンジャミン・ブリテンは、マルティヌーが弦楽四重奏曲 第2番を作曲した1925年にはまだ12歳。ブリテンはそんな年齢でフランク・ブリッジの「海」を聴いて、気に入ったからといってブリッジ本人に会いに行って作曲を習いはじめてから、その時もう1年は過ぎていたらしい。
ボスフラフ・マルティヌーとベンジャミン・ブリテンを同世代の作曲家だと考えたことはなかったし、この二人の作品を安易に比較するのにも注意は必要だろう。
でも、「20世紀のマドリガル楽派」という言葉が何かの意味をもたらすとすれば、そこにマルティヌーの音楽を独自の系統で聴きとるための鍵があるような予感がする、というところまでしか今は書くことが出来ない。
マルティヌーの弦楽四重奏曲を全て聴くシリーズはまだ第2回目、これから新しく姿を現すことになる新大陸へ、長い旅はまだ始まったばかりなのだ。
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2022年9月29日(木) 20:00開演
「新たなる出発」 – VOL.2
ヴァイオリン:杉江洋子
ヴァイオリン:野田明斗子
ヴィオラ:小峰航一
チェロ:ドナルド・リッチャー
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