ベートーヴェンが弦楽四重奏曲 第15番を書いたのは1825年のこと。
その「感謝の歌」と題された第4楽章がある。
その題名の横には
「リディア旋法で」
と書かれている。
“in der lydischen Tonart”
イ短調の旋律は主である”イ音”(a) ではなく光射す “ヘ音”(F) へと向かう。
ベートーヴェンが教会旋法を使用したのは、前年の1824年に初演された「荘厳ミサ曲」でのドリアン旋法がおそらく最初とみられる。
バッハやヘンデル作品の出版が活発になり始めてから、ベートーヴェンは果てのない古楽探索に明け暮れていたが、さらに以前の音楽に興味を持った知識人の層というものが、当時すでに形成されていたのだという。
ウィーンでは、役人でありながら音楽史家としても活動していたラファエル・ゲオルグ・キーゼヴェッターによる「歴史愛好家のためのコンサート」が小規模ながら連続して開催されていて、ベートーヴェンもそこではじめてパレストリーナの作品などに触れたのであろうとされている。
「感謝の歌」”Dankgesang”という題名が、ラテン語の「聖なるかな」”Sanctus”(感謝の賛歌)に対応しているのかどうかはなんとも言えないところだけれど、試しにパレストリーナのミサ曲「永遠のキリストの恵み」からサンクトゥスを聴いてみる。
続いて、こちらがベートーヴェンの「感謝の歌」だ。