マルティヌーのことを知らない

大作曲家マルティヌーの、その作品以外のことをほとんど知らない。
1923年から1940年までずっとパリにいたはずなのに、その初期に恩師アルベール・ルーセルから「私の栄光」と最大限に讃えられながら、彼はずっと作曲をしていたというが、しかし、その他のことがわからない。
ドビュッシーがいない、けれども最晩年のフォーレも、ラヴェルも、ストラヴィンスキーも、六人組もいたのに、彼は作曲以外に何をしていたのだろう?

パリに着いた1923年、マルティヌーはすぐにサッカーの大ファンになった。
そして、翌年に一度チェコの故郷に帰った際に「ハーフタイム」という10分弱のオーケストラ作品を書いた。「ストラヴィンスキー風」と揶揄されたとのこと、確かにペトルーシュカを思わせる部分はあるけれど、ここではラヴェルが8年後に書くピアノ協奏曲の第3楽章の予言もすでにされている。

1920年に結成された「六人組」が一世を風靡する中、マルティヌーは3人の他国出身の作曲家、スイスのコンラート・ベック、ルーマニアのマルセル・ミハイロビッチ、そしてハンガリーのティボール・ハルシャーニと一緒に「四人組」”Groupe des Quatre”を結成した。
「四人組」にはコクトーもサティもいなかった。
そこで彼らはモディリアーニや藤田嗣治、シャガールなどを擁し画壇で大一派をなしていた”外国出身”の画家グループ「パリ派」”École de Paris”の存在に活路を見出そうとした。
4人では足りないので、チェレプニンやタンスマンなど他の外国出身の作曲家に声をかけて、「パリ楽派」”École de Paris”という名前のグループを作った。
彼らはジャズに夢中だった、とのことだ。
1927年にマルティヌーが作曲したジャズ風の室内楽バレエ「台所レビュー」はパリで人気を博したというが、それとて大作曲家マルティヌーのひとつの側面に過ぎない。

チェコ時代、パリ時代、アメリカ時代、そして第二次大戦後と、マルティヌーの重要な全ての時期の証人となっている7つの弦楽四重奏曲がある。
もっとも知られていないこの大作曲家の神髄に挑む全7回のシリーズ「新たなる出発」がいよいよ開幕する。

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2022年5月27日(金) 20:00開演
「新たなる出発」 – VOL.1
ヴァイオリン:杉江洋子
ヴァイオリン:野田明斗子
ヴィオラ:小峰航一
チェロ:ドナルド・リッチャー

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