「穏やかに、そして優しい表情で」
シューマン最晩年の組曲「おとぎ話」op.132 の第3曲にはそう示されている。この曲の始まり3秒で鷲掴みにされてしまうこの感情を、自分はどこで教わったのだろう。
ノヴァーリスでさえも、冒頭からこのように掴みかかってはこない。
このような何かを、自分は音楽の他には知らない。
そして、このような感情を呼び起こす音楽を、ロベルト・シューマン以前に見つけることが出来ない。
音楽が自分の心を動かすときに、自分は何かを思い出している。
でも、何を思い出しているのかわからない。
もしかしたら、思い出すということは、記憶そのものではなく、感情や感動の一形式なのではないだろうか。音楽を聴いて沸き起こる感動は、それが同じ場所の何度目であろうと、常に新しい。
ロベルト・シューマンを聴くときの感動は、もとから自分に備わっていた何かを思い出すという形式を辿ることから来るとすれば、この感情はおそらく彼が発明し、はじめて人間に与えたものではないか。
それはもう確信に近いのだ。
シューマンの「思い出す力」は、突然に訪れて、どこの誰の記憶とも知れない世界に聴く者を引きずり込む。
ピアノ五重奏曲の中に「詩人の恋」が聞こえる。思い出す形式で。
それは第二楽章で、チェロだけにダイナミクスが与えられて、秘められた旋律が浮かび上がるこの部分のことだ。
これは「詩人の恋」の第2曲(イ長調)で歌われる旋律で、
Aus meinen Tränen sprießen 「僕の涙から生まれ出る」
と歌いだされる。
そして、「詩人の恋」の第13曲で同じ旋律が、
Ich hab’ im Traum geweinet 「僕は夢の中で泣き濡れた」
とつぶやくように歌われる。
つまり、ここには涙がある。音楽を聴く自分の頬をつたう、それが何の涙なのかを、すぐに知る事は出来ない。
このようにしてシューマンは、「行進曲の様式で」と題したこの第二楽章において、実に久しぶりにハ短調と向きあったのであった。
「詩人の恋」の第2曲(イ長調)も、第13曲(変ホ短調)も、いずれもハ短調の裏返しであることを考えると、ここにシューマンが導入したであろう時間の、果てしない長さに呆然としてしまう。
シューマンは、未来の人が持っているはずのない記憶を、いずれ音楽を聴く人の中に呼び起こす形式を”ロマン派”に導入した。その形式なしにはブラームスはもとより、記憶の芸術であるいかなる音楽もありえなかった。
穏やかに、そして優しい表情で。
シューマンは「おとぎ話」op.132を書いてから、半年もたたない1854年の2月末にライン川へと向かった。亡くなったのはその2年半後のことである。
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2022年3月3日(木)&4日(金) 20:00開演
「R.シューマン」 室内楽全集 VOL.3
– ピアノ五重奏と珠玉の小曲集 –
ヴァイオリン:上里はな子
ヴァイオリン:ビルマン聡平
ヴィオラ:坂口弦太郎
チェロ:江口心一
ピアノ:島田彩乃