1824年5月のウィーンでウムラウフによる指揮、作曲家の臨席の中、ベートーヴェンの交響曲 第9番 ニ短調の初演が行われた。
翌6月、シューベルトはニ短調の弦楽四重奏曲を書き始めた。
パパゲーノは、首を吊った時に死んだのではなかったか。
ファウストは、メフィストフェレスと契約をした時に死んだのではなかったか。
契約に向かうファウストは言った。
「己の心を人類の心にまで拡大し、最後には人類同様、己も滅んで行こうと思うのだ。」
メフィストフェレスは言った。
「年月は短く、技芸の道は長し。いい知恵をお貸ししましょうか。
詩人と結託するんですな。」
シューベルトが果たして第9交響曲を聴いたかどうかは伝わっていない。シューベルトは7年前、つまり自分がまだ20歳の時に書いた歌曲「死と乙女」を取りだした。
死が忍び寄る、乙女が「あっちにいって!触らないで!」と叫ぶ、死は「怖くない。私の腕の中でお眠り」と優しく歌う。
クラウディウスの詩に、シューベルトは「魔王」を煎じたような背景を与えた。死は癒しを齎す。「魔王」ではつい声の調子を荒げた死も、「死と乙女」ではひたすらに静かに、ニ短調からヘ長調に移行する。
シューベルトは歌曲から「死」の部分だけをつかみとり、弦楽四重奏曲の中心に据えた。第1楽章、姿を変えた運命が名乗りを上げる。チェロの高らかなファンファーレは、ベートーヴェンがチェロソナタ 第5番で使ったものであった。そして第2楽章「死」のモチーフによる変奏曲がはじまる。
弦楽四重奏曲「死と乙女」は、一度シュパンツィヒ四重奏団によって演奏されたかもしれないという不確かなうわさがあるだけで、シューベルトの生前には広く知られることなく、シューベルトの死後に出版された。
後日、弦楽四重奏曲「死と乙女」のスケルツォをワーグナーが『ラインの黄金』の中で響かせた、その中でニーベルングが下層世界から現れ、黄金を運び去っていった。
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2021年9月22日(水) 19:30開演
「ラヴェル&シューベルト」
ヴァイオリン:上里はな子
ヴァイオリン:室屋光一郎
ヴィオラ:萩谷金太郎
チェロ:江口心一