ヴェニスに死す、繰り返し

1975年、ベンジャミン・ブリテンは終わりについて考えていた。
自らの死がヨーロッパ音楽の歴史の終結を意味することは、どうしても意識されないわけがなかった。

全てが頭の中で完結され、あとは紙に書き写すだけというモーツァルトの伝説をそのままの形で再現していたブリテンの創作は、それまでに幾度も繰り返されてきたモーツァルトの再来そして死の最後の形態として、1976年、静かに終わりの時を迎えた。



73歳のゲーテが17歳の少女に恋をして書き上げたひとつの悲歌、その”混乱と恥辱”の情熱に則って書かれるはずであった小説「マリエンバートのゲーテ」は、突然に知らされた作曲家グスタフ・マーラーの死と、迫りくる第一次大戦の空気の中、1912年に、まったく別の短編小説となって完成された。

伝染病の蔓延するヴェニス。
それがトーマス・マンの小説「ヴェニスに死す」の舞台である。

有名な映画では省略されたその第1章、ファウストを誘った悪魔のように、どこからともなく現れた異国の男から受けた印象の強さが、主人公を外国への旅に導いた。その道は、どうしても主人公をヴェニスに到着させずにはおかない道であった。主人公がその運命の行きつく先をヴェニスに向かわせたとき、ある若者の集団の中に、一人の化粧をした老人が紛れていた。どの若者よりもはしゃいでいながら、誰もその存在を気にする者のない老人をみて、主人公は「世界が夢の中でのようによそよそしいものとなり、奇妙なものへ変わって行きつつあるような」心地がした。

ヴェニスの島が近づき、ゴンドラに乗り移ろうとする主人公に、この老人が言いはなった。義歯を落としながら「どうか一つ、可愛いお方に、可愛い、飛び切りお美しいお方に、よろしくお伝えくださいまし…」と老人は言った。主人公は落ちてきた義歯を避け、”この世の中にあるものの中では棺だけがそれに似ている” ヴェニス行きのゴンドラに乗り移った。

その後は、ほぼあの美しい映画にあった通りである。
主人公は美しい姿をした少年に心を奪われ、最終的にあの老人のように化粧をしてヴェニスの海岸で死を迎える。

ベンジャミン・ブリテンはこの「ヴェニスに死す」をオペラとして扱う際に、この作品をよりゲーテの創作に寄せることにした。つまり、異国の男、老人、ゴンドラ主、散髪屋そしてディオニソスという、主人公を取り巻く全ての役柄を一人の歌手に担わせ、物語を司る”メフィストフェレス”として登場させたのである。

ブリテンにとっての冬の旅、オペラ「ヴェニスに死す」を書き上げ、心臓の大手術の後で右手の自由を奪われ、舞台人としてのキャリアを終え、ショスタコーヴィチの死を見送り、ショスタコーヴィチの最後の弦楽四重奏曲をフィッツウィリアム四重奏団の演奏で聴いた後、ブリテンはヴェニスに旅立った。

ブリテンの生涯最後の作品となった弦楽四重奏曲 第3番は、小説「ヴェニスに死す」と同じ5つの部分から出来ている。その最後には作曲家による手で”Dying away”と書かれている。ショスタコーヴィチの追悼は音楽への追悼であり、自らの死は音楽の死を意味していた。

必然からみればとても長く引き伸ばされた音楽の歴史、ショスタコーヴィチとブリテンの存在によって、人間が芸術の偉大と幻滅を今一度体験するはずの歴史の最後を飾ることになった弦楽四重奏曲を、ベートーヴェンのハイドン追悼の音楽と一緒に聴きたいと思った。

 

 

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2020年10月5日(月) 20:00開演
「エンヴェロープ弦楽四重奏団」 vol.10
ブリテン:
弦楽四重奏曲 第3番 op.94
ベートーヴェン:
弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 op.74

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