結論からいえば、彼らには音楽以外の何の意図もなく、私の観たものは全て幻影であったのだ。
「あなたが行くなら」チケットを一緒に買っておいてくれると、出不精の自分を誘ってくれる人がいたから、その場でお願いをした。数日後、到着したホールの入り口で「あなたと私は隣の席ではないですよ」とその人に言われて、手渡されたチケットがはたして何への入場券なのか、実感のないままに私はホールに吸い込まれた。
2019年9月30日、大阪フェニックスホールで「時の終わりのための音楽」というコンサートを聴いた。
はじめはラヴェルのソナタから。
私は2階の下手側、ちょうど8時の方向からピアノの右肩背後を見下ろす位置、二人の知らない人に挟まれて『ドビュッシー追悼の音楽』を聴いている。ヴァイオリンとチェロ、ふたつの譜面台が床に落とす影をなんとなく見ていた。どこかの国家のような旋律が、2回、3回と上昇して、床の影に溶け込んでいく。
神秘的な対位法。
ドビュッシーは死んで、上に行ったのだろうか、下に沈んだのだろうか。
続いてマーラーの歌曲が演奏された。
無言歌、死の床には新たな光があたって、若葉が芽を出して花が開いていく様子が映し出されているようだ。こどもが走り回ってもいるだろうか、無言のままで。
20分の休憩 本を読んでいた。
次はメシアンの四重奏
クラリネットがピアノの前に立ち、チェロが中央に座り、ヴァイオリンはピアノのおしりの辺り、ヴァイオリンだけ照明から外れて暗いところに立っている。
休憩後のまだ完全に会場の空気が静まらない中、突然クラリネットが鳴り響いた。
音楽を聴くのに準備はいらない。ただ始まれば良い。
クラリネット、そのトリルの指が段々に高く振動して、こちらに来いと呼んでいる。
私たちは順番に、森の中に入っていく。
ヴァイオリンが光の中に進み出た。これで皆が集合した。
ピアノが雷鳴を轟かせる。クラリネットのファンファーレ、畳みかけるヴァイオリンとチェロのユニゾン。クラリネットの指が一段と高く舞い上がり、トリルの動きが一つの球体を描いている。雷が球体に降り注ぐ、ユニゾンがさらに電圧を増していく。
チェロとヴァイオリンが舞台の上ですれ違って、それぞれ舞台の反対側に姿を消した。
クラリネットが一人、無音と私たちの間の境界を乗り越えて、音は私たちに届く寸前に姿を消す。その繰り返し。
ここで奇妙な事に気が付いた。
先ほど、チェロとヴァイオリンが舞台の上ですれ違った、その黒い幻影がクラリネットの周りを旋回し始めたのだ。人の網膜が何を記憶するのか、と咄嗟に考えた。それは自在に記録・再生の出来るものではない。思えば、チェロとヴァイオリンは狭い舞台の上からなぜ別々に降りずに、中央で互いをよけてすれ違ったのか。ヴァイオリンとチェロをそれぞれ片手に持って、袖を翻して、黒い影はくるりと回った、踊るように‥。
黒い影はますます速度を速めて、クラリネットの周りに飛び交っている。
間違いない。これは舞踏なのだ。
ラヴェルが自身の作品のいくつかをchoréographiqueと呼んでいたことを思い出した。
ヴァイオリンとチェロは、舞台横に立てられた音響板の影に羽を休めて、気配を消していた。
メシアンの四重奏では、いつも5曲目のチェロとピアノの二重奏を聴いているときに目頭が熱くなるから、そこは要警戒だと思って京都から飛んできたのだが、今こうして3曲目『鳥たちの深淵』が終わって、すでに私は泣いてしまっていた。
本当に美しい時間だった。
凄まじい焼け跡と静寂、チェロとピアノが舞台と客席最前列の間に虹をかけている中、ヴァイオリンとクラリネットが2人で歩を合わせて、客席に向けて並べられていた2つの譜面台を、中央にかかる虹の方向に向けた。
いよいよ時の終わりが告げられるのだ…と私は覚悟をした。
天使が最後の力を振り絞る、星が落ちてくる、壮絶な光景。そのすべての上にまた虹が覆いかぶさり、閃光と共に完全な暗闇が世界を支配して…全てが終わった。
そしてエンドロールに凝縮された、時間を取り戻すための儀式。時間がその場にいる人それぞれに手渡されて、順番に私たちは森を出た。
以上が、私が手に入れた入場券の顛末である。
入場券を買ってくれた人はもうどこにも見当たらない。
私は折りたたんでいた翼を前後に振りほどいて、フェニックスホールから夜の街に飛び出した。
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幻影はいまだに目の前をちらついているし、私は自分の見たものを信じてはいるけれど、実際に舞台上の彼らがしたことは音楽だけなのであった。その演奏の見事さ、息を合わせているという雰囲気が微塵もなく、時間が来たら噛み合うように仕掛けられた、いくつかの歯車の回転の連続を見るような完全なユニゾン、変則的なリズムを微動だにせず奏で続ける強靭な身体、炸裂する雷、そして沈黙。
舞台上の彼らは、何の大きな動きも見せず、むしろ抑制された美しいものを見ていると私は感じていた。それが楽章ごとに編成が変わる中で、音楽に必要と思われるシンプルな移動をしただけで、なぜあのような事が可能だったのだろうか。
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でも、私はあのクラリネット奏者、ディルク・アルトマンのことを知っているのだ。
彼は嘗て、ブラームスのクラリネットソナタを演奏しに舞台に向かう直前、楽屋に置いてあった古いカバンを指さして、「ブラームスを連れて行くよ」といってクラリネットとそのカバンを持って行ってしまった。
あれは私が30年前に買い、「勧誘」とか「殺し屋」とか「お医者」とか様々にたたかれながらも大切に持っていて、いまはピアノの調律道具が入っている大きな革のカバンだ。
ディルクは革カバンを舞台の真ん中に置き、自分は舞台の端に立って気持ちよさそうにブラームスを演奏し始めた。夢見心地で聴いている私たちは、やがて舞台上に異変が起っていることに気づき始める。ディルクは段々に演奏が困難だという様子をし始めた。突然、ディルクは舞台横の壁際まで歩いて行って、そこに立っている譜面台を指さした。そこにはブラームスの楽譜が載っている。それまで、楽譜を見ずに演奏していたのだ。
全てが解決したという様子でニコリと笑って、譜面台を舞台上に持って行くディルク。あっけに取られている私たちの前で、ブラームスの華麗な変奏曲が見事に奏でられた。
ディルクは「ありがとう。彼がいてくれて良かった」と言って、カバンを返しに来た。
舞台で演奏をする。それが音楽になった時に到来するもの。
ディルクはそれについては何の説明もしない。
私たちの見たものは何か。
それを確かめたいから、私たちはまた舞台を観に、劇場に向かうのだ。
「時の終わりのための音楽」
素晴らしい公演でした。
本当にありがとうございました。
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2019年9月30日(月)19時開演
於:大阪フェニックスホール
「時の終わりのための音楽」
クラリネット: ディルク・アルトマン
ヴァイオリン: 白井圭
チェロ: 横坂源
ピアノ: 岡本麻子