ベートーヴェンの最初のピアノ三重奏の初演を聴いたハイドンが、ハ短調の第3番だけは「出版しない方がいい」とベートーヴェンに助言したという有名な話がある。ベートーヴェンが第3番を自信作と思っていたこととの認識の違いを、新旧世代交代とか、ハイドンの新音楽への無理解の象徴とするのは釈然としない。 “ハイドン師匠とルードヴィヒ” の続きを読む
ベートーヴェン モーツァルトとの邂逅
ベートーヴェンは作品1からすごいというのは、ビートルズがPlease please meからすごいというのと同じである。どちらもいわゆるファーストとして知られるものを発表したのは20歳の頃、それまでの活動を通じてすでに完成されていたとすれば、いつの段階で完成されたのだろうか。
ウィーン以前、ベートーヴェンの神童時代…
といっても、モーツァルトやメンデルスゾーンのようにははっきりと認識できていないから、少し整理してみたくなった。
モーツァルトの父はザルツブルグの宮廷作曲家であった。
ベートーヴェンはお祖父さんがボンの宮廷楽長だった。
メンデルスゾーンのお祖父さんはモーゼスだった。
鐘の谷のラヴェル
ラヴェルの「鐘の谷」という作品の事がよくわからない、ずっとそう思っていた。
この作品は『鏡』という曲集の最後、つまり5曲目に置かれていて、「夜の蝶」「悲しい鳥」「洋上の小舟」「道化師の朝」というそれまでの4作品が、はじめから楽しく聴くことが出来るのに対して、なぜか「鐘の谷」だけは頭に入ってこない。音楽が始まるだとも、終るとも思わないうちに、いつの間にか終わっている。 “鐘の谷のラヴェル” の続きを読む
もう一度、タネーエフ
ところでタネーエフというのは、セルゲイ・タネーエフのことだ。
1855年生まれ チャイコフスキーに師事して大変に気に入られた彼は、1875年に音楽院を卒業すると今度はモスクワ大学に行った。そこで彼はネクラーソフの親友でドストエフスキーの論敵であったシチェドリンやツルゲーネフと知り合った。
フェリックスの遍歴時代
モーゼス・メンデルスゾーンがレッシングの思想を代弁する形で、長くほぼ禁書の扱いであったスピノザを復活させたことが、それまで確かにあったと思われた、時代の記憶の多くを消滅させた。スピノザを巡っての論争の末、詩人たちは、神と自然を歌う新たな道を探し始めた。 “フェリックスの遍歴時代” の続きを読む