“ Ja! ”
「『はい!』っていう返事がそんなに欲しい?」と18歳のクララは訊いた。
「だって、貴方の同意が必要だから」と28歳のロベルトは言った。
「じゃあ…『はい!』」と17歳のクララは簡単に返答した。
1837年8月、28歳のロベルトは有頂天になった。
有頂天になったロベルト・シューマンは、すぐに新しいピアノ作品の作曲に取り掛かり、9月13日のクララの18歳の誕生日に間に合うように!と、その8月後半の2週間でほぼ完成したのが「ダヴィッド同盟舞曲集」である。この作品の冒頭の2小節がクララの「音楽の夜会」作品6の中のマズルカからの引用だからといって、ロベルトは自分の「ダヴィッド」も作品6として出版した。
「君は僕の『ダヴィッド』の楽譜をちょっと見ただけで、あとは無視したね。」
ロベルトはクララに言った。この曲集は「謝肉祭」に似ている、とクララはロベルトに言ったのだ。確かにこの曲集は「謝肉祭」のその後を描いているけれど、実際に似ているのは3曲目と4曲目だけなのだから…ロベルトはスネた。
仮面の世界である「謝肉祭」と実際の顔である「ダヴィッド」。
ロベルトはそのように言い表して、一緒になるのだから素顔の方を好きになってほしいのに、クララは「謝肉祭」の方が好きだという現実。
労苦の中で生まれた「謝肉祭」と喜びの中で生まれた「ダヴィッド」
ロベルトはそのように説明したけれど、その喜びのとても短かく、そこからは苦難の日々が続いていた。「ダヴィッド」を書き、クララがめでたく18歳を迎えたすぐあと、ロベルトはクララの父フリードリヒから絶望的に拒絶されたのだ。
ロベルトは現実に抵抗した。
父フリードリヒに拒絶された1837年9月から、ようやく父フリードリヒを振り切って結婚した1940年9月までの3年間、ロベルトとクララは滅多に会うことができない中、密かに文通を続けていた。その間、クララが「ダヴィッド」を演奏したという記録は残っていない。
さて、その「ダヴィッド同盟舞曲集」というのは果たしてどのような作品であったか。
ロベルトはこの作品を結婚への想いを馳せた Ein Polterabend「結婚前夜の食器割り大会」の一部始終だとし、その夜会をクララのマズルカで始めたけれど、その2小節以降、もう二度とそのマズルカは出てこないのだ。
ロベルトは、クララのマズルカのリズムをベートーヴェンのハンマークラヴィーアソナタのスケルツォと融合させて、第2曲においてアダージョ・ソステヌートの世界に導いた。結局はこの第2曲が「ダヴィッド」の主要主題として全体を支配するのだけれど、それはなんと恐ろしい飛翔であっただろうか。
ロベルトがはじめてクララに捧げた作品、ピアノソナタ 第1番の中でハンマークラヴィーアソナタが取り上げられていること。その調性がアダージョ・ソステヌートと同じ嬰へ短調で書かれていること。そして1840年、いよいよ結婚が迫った時期にロベルトはハンマークラヴィーアソナタを自分だけのために弾いて欲しいとクララに書き送っていること。
俗物なペリシテ人をやっつけるダヴィデを首長とした「ダヴィッド同盟」。いまだ謎の多い問題作「ダヴィッド同盟舞曲集」の中で、ロベルトはいまだにダヴィデと共に戦い、踊り、仮面たちをアダージョソステヌートの中に引き入れようと必死で抵抗している。
果たして、クララは演奏してくれたのだろうか…。
・・・・・
2018年10月17日(水) 20:00開演
「ダヴィッド同盟」
ピアノ:山田剛史
http://www.cafe-montage.com/prg/181017.html