ドビュッシーのいない世界。

1848年12月
革命の混乱を一段落させる形で、ハプスブルク最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフ1世が18歳にして皇帝に即位した、その1週間後にフランスで行われた大統領選挙で75%に迫る票を獲得して勝利したのがルイ・ナポレオン、その3年後のクーデターを経て皇帝に就任したナポレオン三世である。

1861年3月
ナポレオン三世の勅命によって、ワーグナーの「タンホイザー」が大改造後のパリで上演された。娯楽要素の少ない音楽劇の上演を妨害する笛や怒号がオペラ座に鳴り響く中、陶酔状態で舞台を見つめていたシャルル・ボードレールの姿があった。翌1862年、クロード・ドビュッシーが生まれた。

ワーグナー芸術の虜になったボードレールが、ワーグナーについて書いた文章で現存するのはたった二つ。まず「タンホイザー」パリ初演の前年、1860年イタリア座で行われた公演を聴いた後に書かれたワーグナーへの熱烈な書簡。そして相当の取材をもって書かれたワーグナー評論がそれである。

有名な評論「リヒャルト・ワーグナーと『タンホイザー』パリ公演」の中には、肝心のパリ公演についての記述がほとんどない、なぜなら、この評論は1861年3月公演の後すぐ、4月1日号の出版に併せて「3日間で」仕上げられたもので、その文章の大半は公演以前に書かれていたものであったからである。

この評論はワーグナーの真価をフランスでいち早く公に宣言した名文として名高いが、より感動的なのは「もともと感激というものに縁がなく、音楽も詩もほとんど理解されない国に生まれた者」からの感謝という形で書かれたワーグナー宛書簡の方である。

ロマン主義を継承・異化し、すでに「悪の華」において未来を予言していたボードレールが、ワーグナーの音楽に触れてまず「この音楽を知っている」と感じ、その幻惑がどこから来るのかと考えた挙句、驚くべきことに「私の音楽である」からだとワーグナー本人に書き送っている。

最後に「あなたは私を、本来の私へと呼び戻してくれた」と結ぶ、ボードレールのワーグナー宛書簡は、芸術という行いそのものへの賛歌なのであり、初めての出会い、そこに生まれる不思議な懐かしさへの旅、人がまさにそのために生きていることの宣言でもある。

なぜ、芸術に触れて深く感動することがあるのか。それは自分の人生が見えない形式でそこに投影されているからであり、同時にそれは、自分の人生がすでに誰かによって生きられたものであることの発見であって、自分が未来の誰かのために生きていることの承認であるから。

1839年、革命前のパリにいた26歳のワーグナーが書いた短編小説「ベートーヴェンまいり」は大きな評判を呼び、それを受けてすぐに書かれた続編「パリに死す」はベルリオーズを震撼させ、ハイネをしてホフマンを凌駕すると言わしめた。

ein solches musikalisches Drama
ベートーヴェンはあるべき音楽劇の姿について語りだす。
「シェイクスピアがやったように、つまり、彼が彼の作品を書いたときのように行えばいいのです。」

Urempfindung
楽器―まだ何も定められていないところの感覚、感情
abgeschlossene, individuelle Empfindung
声―完結した個々の感覚、感情
その二つを同じ高みで向き合わせ、心に原始の感覚を呼び起こし、形のない感情を心で定義するところの音楽劇について語ったあと、ベートーヴェンは「いつか、私のことを思い出して欲しい」と言った。

「ベートーヴェンまいり」において、遠路はるばるベートーヴェンに会いに行った作曲家が遭遇したのは実は自分自身であり。自分のそばをついて離れないイギリス人もおそらくはそうなのだ。「パリに死す」においてはさらに声部が増えて、最後に全てがひとつの場所に帰結するその展開は恐ろしいほどだ。

「神、モーツァルトとベートーヴェン」と言い残して死ぬ「パリに死す」の作曲家と、「モーツァルト!モーツァルト!」と最後に言って死んだグスタフ・マーラー、そして美の象徴である少年の指し示す先を見たその瞬間に海辺に斃れた「ヴェニスに死す」の主人公とは、いずれも文学の世界においては同一の人物である。

ワーグナーは「オランダ人」を書いたときにはハイネであり、「トリスタンとイゾルデ」を書いたときにはノヴァーリスであった。象徴主義によって汲み上げられたロマン派、その中心とされるノヴァーリス。22歳のときに12歳の少女に恋をし、人知れず婚約を交わしたその人生。

その少女ゾフィーはノヴァーリスとの婚約後、ほどなくして重い病にかかった。翌年、ノヴァーリスは父親にゾフィーとの婚約を打ち明け、未来の約束事として許されることとなった。イエナの病院で手術をうけたゾフィーを、ゲーテが見舞っている。半年後の1797年3月、ゾフィーは故郷で死んだ。

ゾフィーの死。その象徴を詠み上げてロマン派文学の最高峰のひとつとされ、後の象徴主義文学の礎ともなったノヴァーリスの「夜の賛歌」は、全ての光線を吸収し、あらゆる人生を映し出す鏡として、「トリスタンとイゾルデ」における夜の象徴ともなった。まったく、なんという作品であろうか。

ゲーテがそのとき14歳になっていたゾフィーを病院に見舞った時にはまだ、ゲーテとノヴァーリス本人は出会っていない。… 果たして、ゾフィーとは誰であったのか。その「15分の出会い」がノヴァーリスの人生を変えたという、12歳のゾフィーとは、いったい誰であったのか。

時がとまるとき、最後に残るのは光なのか、闇なのか。私たちに霊感を吹き込むものはすべて夜の色を帯び、夜は母のように光を抱き、母は光が訪れるより早く私たちをこの世に遣わした…「夜の賛歌」は象徴主義を飛び越え、目の前に降り立った16歳の少女に「優しき歌」を書いたヴェルレーヌをも包み込むようだ。

夜がおまえを美しくみせる…「悪の華」の詩に若きドビュッシーは革命的な伴奏をつけた。永遠に続く嘆きの音、噴水がすすり泣く声… あらゆる魂を陶酔に誘うこの歌曲の奥には、グレートヒェンが糸を紡ぐ音が延々と鳴り響いている。

Surgir du fond des eaux le Regret souriant
海の底から、後悔が微笑みながら浮かびあがってくる…
ドビュッシーが「ボードレールの5つの詩」を書いたのは1887年から1889年のこと。

Surgi de la croupe et du bond, D’une verrerie éphémère…
マラルメは1887年に47部限定で石版印刷の「詩集」を出した。
1913年ラヴェルがその室内楽歌曲を書き、エリック・サティに捧げた。

ゾフィーと名付けられた少女は、おそらく肉体を持っていない。
しかし、ゾフィーは存在しなかったわけではない。
私はただ忘れているだけなのだ。その名前さえも。
私は、いつか私に会いに来る。
会いに行くのだ。

ドビュッシーのいない世界へ

 

 

 

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2018年12月6日(木)~12月10日(月)
「ドビュッシーのいない世界」

フルート:瀬尾和紀
ヴァイオリン:瀬﨑明日香
ヴィオラ:小峰航一
チェロ:上森祥平
ハープ:福井麻衣
ピアノ:菊地裕介
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