「まったく恥ずかしいことに、私はよく知っているはずのシューベルトのいくつかの歌曲において、その基礎となっている詩の中で何が起こっているかということについて何も知らなかった、ということに数年前に気がついた。…その本当の内容について…。」(アルノルト・シェーンベルク)
果たして、本当の内容とは何だろう。
「詩を理解する」ということ自体がそもそも矛盾である中で、ドイツリートは、言葉の力を世の中に広く行き渡らせ、その広大な意味を孤独な人達の心に深く染み入らせた。
不朽の名作である「ます」、「死と乙女」、後にゲーテに送ることになる「ガニュメート」、そして親友ショーバーの名を不滅にした「楽に寄す」が書かれ、あの有名なイ長調 ヴァイオリンソナタ D574とともにロ長調ソナタ D575の生まれたその年、1817年はシューベルトの奇跡の年だ。
例えばモーツァルトのピアノソナタ、ト長調 K.283の第2楽章がシューベルトの最後のソナタへと変容する、その感動の一部始終は、聴くものがこの奇跡の年を経験することでよりはっきり見ることが出来る。天国的な長さは、そのあともずっと続いていて、シューベルトは今も歌うことをやめはしない。
その時代にあった音楽を詩と同じように扱って、シューベルトだけがはじめて歌うことの出来た歌が、いまもさまざまな形をとって新たに歌われ続けている。その本当の意味は、それを聴く人の孤独な心の奥底に深く眠っている。
ロ長調ソナタ D575のなかにかすかな揺らぎとして表現されているところのものは、晩年のグラーツのワルツ D924においてはまったく異なる時間の上で、まるで抽象絵画のようにその動きがパターン化しているように見える。しかし、これもシューベルトが生み出した世界なのだ。
そのような時間軸の上で舞曲を書いたという意味で、シェーンベルクはシューベルトの後継である。そのシェーンベルクの作品から何かを聴きたいと思った。
シェーンベルクが大作「グレの歌」と同じ時期にたった一日で書き上げた5つのミニチュアに、グスタフ・マーラーの死後への応答として書かれた6曲目を足して出版した作品19は、シューベルトにおいては「冬の旅」と同時期に書かれたグラーツのワルツ D924に相当する、というのは言い過ぎであろうか。
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2018年4月7日(土) 20:00開演
「F.シューベルト」
ピアノ:佐藤卓史
http://www.cafe-montage.com/prg/180407.html