モーツァルト – Episode 2

episode 2

1778年 モーツァルトはパリにいた。

1778年2月12日 父より
「お前は、世界中から忘れ去られる群小作曲家として終ろうとしているのか。それとも、後世の人々までが本で読んでくれるような有名な大音楽家として一生を終わろうというのか。
…パリへ行きなさい!すぐに!偉大な才能を持つ男の栄誉と名声は、ただパリからのみ全世界に響き渡る!」

1778年3月
父から離れて、父が用意した、パリの様々な方面への紹介状をザルツブルグを出発する際に家に置き忘れ、宣伝なくしては話題なしのパリに、何も持たずに22歳のモーツァルトはパリに到着した。

パリではすべてが(いずれ語られるepisode 1の舞台であるマンハイムより)、5割ほど高くついた。ピアノの置き場のないほどに狭い下宿に、母と二人で生活していたモーツァルトが頼りにしていたのは、かつてモーツァルトの作品1をパリで出版する際に骨を折ってくれたグリム男爵だけだった。

グリム男爵はドシャボー侯爵夫人に推薦状を書いた。冬の寒い日、モーツァルトは暖炉のない大きな部屋で散々待たされたあげく、何やら書き物をしていてまったくこちらを気にする様子もないドシャボー夫人の前でボロボロのピアノをあてがわれ、寒さに凍り付いた指で聴く人のない演奏を繰り広げた。

「パリは変わってしまった」とモーツァルトは嘆く。いくらピアノを弾いても、
これは想像を絶する
これは驚嘆に値する
と、お世辞ばかりを並べてそれっきりで、はい、さようなら。高い馬車賃を払って「慇懃にして無礼」な人間に会いにいくという毎日に、モーツァルトはすっかり疲れてしまっていた。

モーツァルトの母は、粗末な下宿で切り詰めた生活を続けていくために、息子が外回りの仕事で留守にしている間ずっと、「独房の囚人のごとく」座って暮らしていた。段々に彼女は弱っていった。そして6月のある日に血を吐いた。

1778年7月3日 ザルツブルグの修道院長に
「あなた様にだけ読んでいただきたく存じます。私はこの手紙を夜中の二時に書いております。私の愛すべき母が、もはやいないのです。私は落ち着いております。父と姉には、まだこのことは言わないでください。私はこれ以上、悲しい思いをしたくないのです。」

1778年7月3日 父に
「母上はまだ熱があり、うわごとを言っています。母上は元気になるかもしれません。でも、神がそのように意思された場合に限ります。どのような人間、医者も偶然も、人間に生命を与えたり、または奪ったり出来るものではありません。父上もそうお考えでしょう?」

1778年7月13日 父より
「それにしてもお前たちはのんきに待ちすぎた。安静にして、家の薬を飲んでいれば良くなるだろうと。しかし、かわいい息子よ。熱のある時の下痢は、即刻医者に診てもらって状況を見極める必要がある―いや、もういい!お前のやっていることは無駄だ。母さんはもういない!」

三幕の無言劇
神との厳粛な対話のあと、咽び泣くようにメヌエットのリズムを刻む、ホ短調ソナタK.304。遠くから馬車の音、すべてが運び去られてしまった後の慰めを経て、墓場の風を聴くイ短調ソナタK.310。一歩一歩、確かな足取りを持って新たな道をゆく、ニ長調ソナタK.306が続けて書かれた。

1778年2月16日 父より
「昔のお前は、顔つきまでひどくきまじめだったもので、いろいろな国の観察力の鋭いたくさんの人たちが、お前のあまりの早熟な才能と、いつも深刻に物思いにふけっている顔つきを見て、お前が長生きできるのか危惧したほどであった。」

episode 3につづく

_______

2017年6月26日(月) 20:00開演
「W.A.モーツァルト」 ― episode 2 – Paris
ヴァイオリン: 上里はな子
ピアノ: 松本和将
http://www.cafe-montage.com/prg/170626.html