episode 1
モーツァルトの死後、いわゆるモーツァルトブームの第一波がヨーロッパを襲い、ブライトコップフをはじめとした楽譜出版社による作品集が企画され、ベートーヴェンとシューベルトが死んだすぐ後に出たコンスタンツェの再婚相手による伝記をはじめとする、数えきれない著作が出た。
モーツァルトは死んですぐに古典芸術におけるノスタルジーの源泉としてみなされるようになった。モーツァルトのいた世界は虚しく、しかしそのあとの「モーツァルトのいない世界」がどれだけの広がりを見せたか。それはモーツァルト以降、およそ芸術といわれる表現の全てに及ぶ広がりのことなのである。
1775年、19歳のモーツァルトはひとつの重要なアダージョ楽章を作曲した。ピアノソナタ第2番の緩徐楽章として知られるこの楽章は、冒頭のシチリアーノがのちのピアノ協奏曲第23番のそれに似ていることで有名であるが、それはまだ序奏であり、むしろ重要なのはその中間部である。
ピアノソナタ 第2番 ヘ長調 K.280の第2楽章(ヘ短調)。
上に下に、さまざまな物思いの形を縁取るシチリアーノのあと、すぐに訪れる中間部(28秒)。ロマン派を突き抜けて現在まで、これに匹敵する音楽が一体いくつ生まれたというのだろう…
モーツァルトの疾走する悲しみというのはアレグロではない。アダージョが、絶え間ない小川の流れに乗って、つい覗き込んでしまったシューベルトを道連れにして、延々と進んでいくのである。
モーツァルトは最後の旅に出る。自分探しの旅ではなく、自分が探されるための旅に。
膨大な数が残されているモーツァルトの手紙は、そのほとんどがこの旅以降のものである。そして、父レオポルトの書いた超絶に長い手紙が、独特の注釈としてモーツァルトの手紙と見事なカノンを奏でている。
この現代性が、モーツァルトの現代性であると考えるに足るこれらの手紙から何を見出すか、それはモーツァルト自身の説明ではなく、むしろ現代にこれを読むものに対する問いであるように思う。以下、「」中の特に記述のないものはすべてモーツァルトが父レオポルトに宛てたものである。
episode 2につづく
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Mozart Episode 1
1777年9月23日朝
モーツァルトは母とともに馬車に乗り込んだ。父レオポルトは、息子がいずれ必要にするであろう、貴族への紹介状や様々な書類をかき集め、ほかにも手落ちがないか家中をうろうろしている間に馬車は動き出し、書類をすべて家に残して、息子はさよならも言わずに旅立っていった。
1777年9月23日夕
「太った紳士がやってきて『モーツァルトさんですね?』といいました。顔を見てすぐに思い出しました。彼はマイニンゲンの商人です。『僕もあなたに見覚えがありますがお名前を知りません』早速、彼は名前を教えてくれましたが、神様のおかげでありがたいことに忘れました。」
1777年9月29日
「親切な友人は沢山います。でも大抵は無力か、殆ど何もできない人達です。ゼーアウ伯爵を訪れましたが彼は真面目くさった顔で、でもそれは見せかけだけでした。ツァイル伯爵の所へも伺いましたが、実に丁寧にこう言われました。
『わしどもがたいしてお役に立つとは思えん』」
1777年10月16日
「ハム氏の娘さんは間違いなく音楽に対する才能を持っているに違いなく、ほんの3年間学んだだけなのにたくさんの曲を見事に弾きます。でも、僕には妙に力んでいるように見えます。長い骨ばった指が、鍵盤の上を実に奇妙に進んでいくのです。
もし彼女がザルツブルグのパパのところへ行けば、音楽の点でも知性の点でも二重に得るものが多いでしょう。彼女は確かに知性が強くありません。ときどき僕が右手で何かを弾いてみせると彼女はすぐに『ブラヴィッシモ』といいます。口の中でつぶやくように。」
1777年10月17日
「シュタインのピアノ・フォルテをまだ見ていないうちは、シュペートのクラヴィーアが一番のお気に入りでした。ダンパーが良く効き、強く叩けば、たとえ指を上げようと残していようと、瞬間にその音は消えます。要するにすべての音が均一の音で出来ています。」
1777年11月8日
「僕は詩人のように詩的なものは書けません。画家のように表現を巧みに描き分けて影や光を生み出すことも、踊り手のように身振りで感情や考えをあらわすこともできません。でも音でならそれが全て出来ます。」
1777年11月14日
「ホルツバウアーの音楽は実に美しいものです。その音楽には信じがたいほどの情熱が流れています。三日前、僕は銀行からの紹介状を持って商人のシュマルツさんの家に行って彼に手紙を渡しました。彼はそれに目を通すと軽く会釈をして、そのあと ―
何も言いませんでした。」
1777年11月20日
「それはフォーグラーの新作でした。試演会で僕は「キリエ」が終わるとすぐに外に出てしまいました。悪くない楽想を聴いたかと思うと、やがて…非常に悪くなってゆくのです。しかも二つか三つの方法で。
楽想がいま始まったかと思うと、すぐに別のが出てきて台無しにしてしまう。さもなければ、そのままではいられないほど不自然に楽想を完結させる。もしくは、楽器の使い方で結局全てだめにしてしまう。これがフォーグラーの音楽です。」
1777年11月22日
「フレンツル氏がヴァイオリンで協奏曲を弾くのを僕は楽しく聴きました。彼は難しいものを弾くのですが、それが難しい曲だという印象を与えません。自分でもすぐに真似られると人は思うのですが、これこそが本物です。」
1777年12月3日
「ソナタのアレグロとアンダンテを入手された事と思います!ロンドをここに同封します。ミサ曲を少なくとも1曲写譜してこなかったのは実に残念でした。写譜代が当地ではとても高いのです。僕が写譜の為に払わなくてはならない額を、おそらくミサ曲と引き換えにはもらえないでしょう。」
1777年12月10日
「ヴェンドリンクのところへ食事をしに行きました。彼は僕にこう言いました。
『もしあなたがフルートのための3つの協奏曲と2つの四重奏曲を書けば、例のインド人は200フローリンくれます。カンナビヒの世話で支払いの良い弟子を二人とれます。
そしてあなたはクラヴィーアとヴァイオリンの二重奏曲を書いてここで出版させる。食事は遠慮なく私どものところでとるのです。費用は一切なしで済みます。そして二か月後、お母さんはザルツブルグのお宅へ帰り、僕らは一緒にパリに行くのです。』
ママはこの案について納得しています。」
1777年12月11日 レオポルトから息子へ
「お前の姉はお前のソナタを、完全に、とてもうまく、しかもあらゆる表情を付けて弾いています。このソナタは風変りじゃないかね?何か手の込んだマンハイムの趣味が含まれているが、お前の立派な作り方はそれでもって駄目になるという事はない」
1777年12月18日
「オルガンは大変良いもので、フォーグラーがそれを弾きました。彼は魔法使いとしか言いようがありません。堂々とした曲を弾こうとするやたちまち無味乾燥に陥ります。彼がすぐにうんざりしているのは見ものです。それで、いったいどうなったか?_ 理解しがたい徒労です。」
1778年2月4日
「ウェーバー嬢は二回クラヴィーアを弾きました。僕が一番驚くのは、彼女がとても見事な譜読みをすることです。僕の難しいソナタを、ゆっくりではありますが、一音符も落とさずに初見で弾きました。フォーグラーが弾くよりも、彼女が弾くのを聴いた方が僕は嬉しいのです。
そこでお願いがあるのですが、僕らの親しい友人にヴェローナではプリマドンナにどれくらいギャラが出るのか、問い合わせていただけませんか?多ければ多いほどいいです。ヴェローナに行けば、僕はオペラを喜んで書きます。それでウェーバー嬢の名声が高まればいいのです。」
1778年2月7日
「僕は弟子を取らなければまったくやっていけないでしょうが、そういう仕事には生まれついていないのです。そんなことはクラヴィーアしか弾けない人に任せておきましょう。僕は作曲家で、楽長となるように生まれついています。
神様がこんなにも豊かに与えてくださった作曲の才能。それを埋もらせることはできません。たくさんの弟子を持てばそうなるのが落ちでしょう。クラヴィーアは僕の余技にすぎません。でも、ありがたいことに、とても強力な余技なのですが。 」
1778年2月12日 レオポルトから息子へ
「ウェーバー嬢がイタリアの劇場のプリマドンナに相応しく 成長していることは認めよう。ただ、舞台を我が物にするには、衣装、髪型、装身具など、まだもっとたくさんのことが必要なのだ。お前の思いは確かに親切心から出たものではあるが、かつて老ハッセの親切心や友情から出た努力が、デイヴィス嬢を永久にイタリアの舞台から追放することになったのです。初日のものすごい野次で、彼女は自分の役を明け渡さなければならなかったのです。とっくに舞台慣れした男でさえも外国で初舞台を踏むとなると震え慄いてしまう…
舞台にまだいちども立ったことのない16か17の娘を推薦したいと言ったら、笑わない興行師がいるだろうか?お前の手紙はまるで小説のような書きぶりだ。…お前が出発するとき、私は病気だったが、夜中の2時まで荷造りをし、翌朝の6時には馬車のところで万事お前の世話をしたのだった。」
1778年2月19日
「あんな見え透いた嘘を書いて僕は馬鹿でした。彼女は歌うとはいかなることか、まるきりわかっていません。『彼女以上の歌い手はいない』という皆の声に反論しなかったのは、僕が誰にも反論する習慣のない街からここに来たからです。でも一人になったとたん、僕は笑いました。なぜお父さんへの手紙で笑わなかったか?_それは僕にもわかりません。」
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2017年9月19日(火) 20:00開演
「W.A.モーツァルト」 ― episode 1 – Mannheim
ヴァイオリン: 上里はな子
ピアノ: 松本和将
http://www.cafe-montage.com/prg/170919.html