「彼は自分を『前衛』でありたいと望んでいる。先駆者など存在せず、未来は誰にも開かれておらず、すぐれた作品は常にその時代の作品であり、いまあるものは遅れてきたものだけだということを彼は知らないのだろう。」
1915年、コクトーがシェーンベルクについて語った言葉である。
ジャン・コクトーは1889年生まれ。母方の祖父がロッシーニやサラサーテと交流のある音楽愛好家で、幼少のことからベルリオーズやリスト、ワーグナーの音楽に親しんでいた。大学受験に失敗し、大作家ドーデの息子、リュシアン・ドーデと知り合ってから後、パリのサロンを渡り歩く生活を送るようになる。
もともとコクトーは、ディアギレフのところで出会ったストラヴィンスキーを、ドビュッシーでもラヴェルでもない、これからの時代を牽引する存在として親交を結んでいたが、第一次大戦が起こり、戦線とパリを往復する中、有名なミシア・セールのサロンで出会ったサティの音楽に傾倒するようになっていった。
そして1917年、自ら台本を書き、音楽をサティに依頼し、舞台美術と衣装には作曲家ヴァレーズを通じて知り合ったパブロ・ピカソを配し、ディアギレフ率いるバレエリュスによって上演された「パラード」は大変なセンセーションを巻き起こし、シュルレアリズムの寵児として知らぬ人のない存在となった。
これからはストラヴィンスキーではなく、サティの時代であるとして「雄鶏とアルルカン」を執筆。プルーストが絶賛したその作品を若き天才作曲家、ジョルジュ・オーリックに捧げることで、コクトーは来るべき次の世代の音楽のあり方を提案した。そして「六人組」が誕生することとなる。
1888年生れのルイ・デュレ、1892年生れのオネゲルとミヨーとタイユフェール、1899年生れのオーリックとプーランク。それぞれに強烈な個性を持つ彼らを、コクトーはあえて一つのグループとして結び付けた。その慧眼はまさに来るべき時代の理想のモデルを作り上げたのである。
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2017年1月23日(月)&24日(月)20:00開演
「六人組」
ヴァイオリン:弓 新
ピアノ:佐藤卓史
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