1816年に作曲されたピアノソナタ第28番と1818年の「ハンマークラヴィーア」。1812年からの5年間という、ベートーヴェンの生涯の中でもまれにみる空白期間の終わりを告げた、唐突とも思われる二つの作品、特に「ハンマークラヴィーア」を読み解くカギ、それは彼の最後のチェロソナタである。
ベートーヴェンの最後のチェロソナタ 第5番 ニ長調 作品102の2
1812年、つまり室内楽においては「セリオーソ」「大公トリオ」そして最後のヴァイオリンソナタ、そして交響曲第7と8番を書いたすぐあとに書き始められ、5年の時を経て1817年に完成した。
チェロソナタ第5番はベートーヴェンがそれまでの作品にも、また「ハンマークラヴィーア」の冒頭でも用いたようにバロック音楽の序曲のファンファーレの形式をとっている。
ところで、チェロソナタ第5番は兼ねてから恩のあったエルデーディ伯爵夫人に捧げられており、その第2楽章のアダージョは、1808年にベートーヴェンが同じく伯爵夫人に捧げた「幽霊トリオ」が下敷きとして使われている。おそらく夫人はこの楽章をとても気に入っていたからなのだろうか。
そんな伯爵夫人に気持ちよく聴いてもらうために第2楽章の前半は「幽霊」、そして後半ではベートーヴェンが満を持して書いた新たな音楽を展開した。その行き着く先が第3楽章のフーガなのであるが、ここにはなんと「大公トリオ」の第2楽章が下敷きとして使われている。
エルデーディ伯爵夫人とルドルフ大公は、ともにベートーヴェンのパトロンとして友人関係にあったのだけれど、「幽霊トリオ」がもともとはルドルフ大公に捧げられるはずだったところが、以前から作品を依頼していたエルデーディ伯爵夫人からの強烈な催促でそちらに献呈されたという話がある。
だから、そのあとにルドルフ大公に捧げられた「大公トリオ」がここで登場するのは、ベートーヴェンならではのユーモアなのだか何なのだか…ともかくも、このフーガは「ハンマークラヴィーア」のフーガの唯一といってよい兄弟なのである。
確かに作品101のピアノソナタにもフーガは登場していて、でもそれはソナタ形式を拡大した中に発生して、主題に戻った際の達成感を増強する役割を担っているに過ぎない。しかし、チェロソナタ第5番と「ハンマークラヴィーア」のフーガはそれ自体で個別の宇宙を形成している。
バロックのファンファーレから「幽霊」アダージョと、ここちよく聴き進んで来て突如、行き場のない闇に入り、そこから伸びている交響曲第1番の主楽章と同じ梯子を上って、「大公」フーガに行き着いて我も君もない世界を見せられたエルデーディ伯爵夫人の心境… まだ、そこまでは想像が追いつかない。
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2016年11月12日(土) 20:00開演
「ソナタと変奏曲」
― ベートーヴェン vol.2
チェロ: 金子鈴太郎
ピアノ: 奈良田朋子
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