ここにとどまる自分と、歩きだす自分。つねに平安と焦燥の間にあって、しかし、自分の行動が何によって為されているか、それは哲学よりは詩によって、そのより茫漠とした表現の形式によってあきらかにされる。
1913年、漱石は小説『行人』の終章で主人の一郎の友人Hに、手紙の形をした長編の詩を書かせている。
「歩かうと思へば歩くのが自分に違ないが、其歩こうと思ふ心と、歩く力とは、果して何処から不意に湧いて出るか」
「二人はそんな事から神とか第一原因とかいふ言葉をよく使ひました。今から考へると解らずに使ったのでした。然し口の先で使い慣れた結果、仕舞には神も何時か陳腐になりました。それから二人とも申し合せた様に黙りました。黙ってから何年目になるでせう。」…夏目漱石『行人』より
そして、風景のあちこちを指さしながら、「あれは僕の所有だ」「あれ等も悉く僕の所有だ」という一郎の有名な言葉と、「椅子を失ったマラルメ」の逸話が続いて、クライマックスの涙の場面に到達する。
「僕は明かに絶対の境地を認めている。然し僕の世界観が明かになればなる程、絶対は僕と離れて仕舞う。‥僕は馬鹿だ。」 …夏目漱石『行人』より
周りの人が軽々と飛び越えていく垣根を、自意識の葛藤から飛び越えることの出来ない「私」を『三四郎』から描き続けた、漱石文学の一つの到達点が『行人』には描かれている。
漱石の亡き後、彼の追求したエゴイズムの問題は、芥川の厭世感、そして行為の反省でしかないデカダンのナルシシズムにとって変わられた。
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同じ時期、第一次世界大戦の前夜という危機的状況の中でヨーロッパの芸術も、エゴイズムの追求か、もしくはそこからの脱却かという差し迫った問題に直面していた。文学の世界では象徴主義の、その後につづく詩のあり方が問われていた。
1911年に「形式の‥その根底にあるものの方が、さらに重要なのであり、音楽は、詩人の魂の中に宿っている深い情感、言葉では言い表すことのできないものを浮きだたせる役目を担っている。」という意味のことをガブリエル・フォーレは語っている。
ベルギーの詩人、ファン=レルベルクの作品による、あたかも純粋なる透明さ、そのものを言葉で表したような詩に、自らの試練を乗り越える術を見出そうとしていたフォーレは「7時間仕事をして、神を歌わせなければならないという問題を解決しました。」と友人に書き送っている。
「‥神の雄弁さは何によるのか。その答が分かった時には、それを発見するためにこんなに時間のかかったことを、きっとあなたはお笑いになることでしょう。そう、実はありのままの単純さがその答なのです。時間が経てば経つほど、このことは分かりにくくなるのかもしれません。」(フォーレ書簡より)
1914年、第一次大戦の勃発。聴力を失いつつガブリエル・フォーレは、療養中のドイツからスイスを経てパリにもどり、ファン=レルベルクの詩による、完全なる透明な世界、その到達点というべき歌曲集「閉ざされた庭」を書き上げる。
「閉ざされた庭」はごく短い8曲からなる歌曲集。
フォーレ晩年の様式がはじめて明確にされ、その後もこれほどに純粋な形を取ることのなかった神々の歌、その透明な世界が果てしなく広がっている。
最後に「行人」を書き始めた頃の漱石の書簡を置いておきます。
「もう小説が迫っているので娯楽は一寸出来ません。しかしまだ二回しか書きません。それでいて音楽会杯に行きます。‥親の目を盗んで女に会うような心持がします。寒くなりました。あなたの詩を読みました。あれは駄目ですね。あんなものを書いちゃ駄目です。」
1912年12月2日、漱石より津田清楓あて
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2016年9月19日(月・祝) 20:00開演
「閉ざされた庭」 – G.フォーレ
ソプラノ:日下部祐子
ピアノ:佐竹裕介
http://www.cafe-montage.com/prg/160919.html