フィガロハウスはウィーンの中心、有名なステファン大聖堂のすぐ裏手、いわゆる一等地にあります。
父に向けた手紙の中で「ここでは服装も始め、全て一流でないと相手にしてもらえません」と書いて、自分のウィーンでの活躍を実家に書き送っていたモーツァルトとしては必然の住居選択であったかもしれません。しかし、理由はまだ他にもありそうに思われるのです。
というのも、父がザルツブルグでずっと一緒に生活してきたモーツァルトの姉ナンネルが1784年8月に結婚して実家を離れることになり、モーツァルトは姉に宛てて「一人ぼっちで暮らすことになった愛するお父さんが何よりも気の毒です― 僕がお父さんの立場だったら、もうこんなに勤めたのだから大司教に引退を願い出て年金を受け、娘のところへ行って静かに暮らすでしょう。大司教がその願いを聴いてくれなかったら、解雇を求めてウィーンの息子(モーツァルト)のところへ行くでしょう。」と書いています。
そして、その翌月にモーツァルトはフィガロハウスに移り住みました。ということは…?もしかしたら父がウィーンに来て一緒に暮らしてくれるかもしれない。そのような願いもあったかもしれません。
果たして翌年の1785年2月に父はウィーンに来ました。そこでの息子の大成功を見て、尊敬するハイドンにも会い、フリーメーソンへの入会も果たし…、しかしながらたった2ヶ月足らずでウィーンを去ります。それがモーツァルトと父の生涯の別れとなりました。
そのあと『フィガロの結婚』という大きな使命を果たし、そのままフィガロハウスに籠って作曲を続けたモーツァルト。今回演奏される弦楽四重奏曲は、大抵は6曲もしくは3曲のセットとなるこのジャンルとしては大変珍しくこの1曲だけが独立した作品として書かれました。その理由としては出版社ホフマイスターの依頼であったり、単純にお金の為であったりと様々な憶測がささやかれていますが、驚くべきはその音楽の内容です。ニ長調の朗らかな主題で始まるこの作品がどれほどの複雑な内容を含んでいるか、とても信じがたいほどです。そして、聴くものにどのような感情を齎すのか。モーツァルトが特別とされる重要な謎、そして恐らくは答えのいくつかがこの作品の中には隠されています。
弦楽四重奏のジャンルの中でもトップクラスの問題作、通称「ホフマイスター」の魅力に迫る第二回公演です!
― カフェ・モンタージュ 高田伸也