「曲目解説」 - 佐藤卓史
〈ハンガリーのメロディー ロ短調 D817〉
「ツェリスにて、1824年9月2日」と書き込まれた自筆譜が、1925年に作家シュテファン・ツヴァイクのコレクションに加わるまで、この作品の存在は知られていなかった。一聴するに、1826年出版の「ハンガリー風ディヴェルティメント」D818の第3楽章ロンド(こちらはト短調)と同一のテーマを扱っていることは明らかで、その初稿的存在とも見做される。1928年に出版された。
1824年、シューベルトとともにツェリスのエステルハーツィ邸に滞在したシェーンシュタイン男爵の証言によれば「『ハンガリー風ディヴェルティメント』のテーマになったのは、エステルハーツィ家の厨房でハンガリー人のメイドが歌っていたハンガリーの歌で、シューベルトはどうやらこれが気に入ったようだった」。タイトルの通り、その「ハンガリーのメロディー」を書きつけておいたスケッチとも捉えられる。
曲はコーダを伴う三部形式(A-B-A'-コーダ)で、A部とコーダがディヴェルティメントに転用されている。ただ、ロ短調から嬰ヘ短調へ向かうAは、A'ではホ短調から始まってロ短調で終わるように設定されており(いわゆる下属調再現)、民謡そのものというよりもかなり作曲家の手が加わった作品と思われる。そもそもこのメロディーじたい器楽的で、歌うのに適した旋律線とはいえない。オリジナルのメロディーにもある程度改変が加えられているのかもしれない。
細かい装飾音やシンコペーションの多用は確かにエキゾティックであり、後の「楽興の時」第3曲や「即興曲」D935-4などにも通じる、ハンガリー風味の源流にある作品といえるだろう。
〈ハンガリー風ディヴェルティメント ト短調 D818〉
1826年4月に出版されたが、自筆譜は失われており正確な作曲年代はわからない。しかし1824年秋のツェリス滞在に深く関連する作品であることは、前述のシェーンシュタインの証言や、ヒュッテンブレンナーの「この滞在中にシューベルトは有名なハンガリー風ロンドのための素材を集めていた。彼は私に、ツィゴイナー音楽にとても興味をひかれている、と話した」といった言葉から疑いないと思われる。シューベルトは10月16日にツェリスを離れているので、楽曲全体の仕上げはウィーン帰着後に行われたと考えられる。出版に際してハンガリーの貴族パルフィ家に嫁いだ歌手のカタリーナ・ラシュニー・フォン・フォルクスファルヴァ(旧姓ブフヴィーザー)(1789-1828)に献呈された。
ディヴェルティメント(原題はフランス語でディヴェルティスマン)とは本来「娯楽」「気晴らし」を意味する語で、音楽においてはさまざまな意味合いで用いられたが、ウィーン古典派以降は器楽アンサンブルのための自由で気軽な曲調の組曲を指すようになった。シューベルトはピアノ連弾のために2曲のディヴェルティメントを残しており、いずれもアンサンブルの楽しみを追求していることは否定しないが、極めて大規模であり、高度な演奏技巧を要求する作品であることが特徴的だ。
「ハンガリー風ディヴェルティメント」は3つの楽章からなり、いずれも行進曲のエレメントを内包している。
第1楽章は幻想的なアンダンテに、行進曲風の2つのエピソードが挿入される、ABACAのロンド形式。エピソードから主部に戻る際には、ツィンバロンを彷彿とさせるトレモロが激した調子で掻き鳴らされ、プリモが増2度の特徴的なツィゴイナー音階の即興的なパッセージを奏でるあたりが、まさにハンガリー風味といえよう。
第2楽章は三部形式の短い行進曲。主部はハ短調で、セコンドのシンコペーションの伴奏型が耳を引く。変イ長調の中間部ではシューベルトの偏愛したダクティルス(長短短)のリズムでメロディーが歌われていく。
第3楽章は前述の「ハンガリーのメロディー」D817の主題による大ロンドである。ABACAの小ロンド形式だが、間のエピソード部がそれぞれ三部形式を取る極めて長大な構成(A-B(aba)-A'-C(cdc)-A''-コーダ)となっている。主部(A)の半ばにあるゼクエンツ(同型反復)による盛り上がりはD817にはなかったものだ。第1エピソード(B)は和音連打を伴う行進曲風のきびきびした曲調で、夢見るような中間部を挟んで回帰する。2度目の主部では伴奏型がダクティルスのリズムに変奏される。第2エピソード(C)は変ロ長調の穏やかな曲想だが、中間部では突如遠隔調の嬰ヘ短調に転調し、トレモロや和音の強打が異国情緒を盛り立てる。最後の主部回帰では伴奏型がシンコペーションのリズムとなり、さらに急き立てられるような印象となる。D817と同様のコーダで、最後は消え入るように静かに終わる。
〈フランス風の主題によるディヴェルティメント ホ短調 D823〉
この作品は出版事情が特殊で、第1楽章が1826年6月に「華麗な行進曲の形式によるディヴェルティメント 作品63」として、第2・3楽章が1827年7月に「アンダンティーノ・ヴァリエと華麗なるロンド 作品84」として別々に出版されている。第2楽章と第3楽章も分冊で出版されており、1つの作品が3分冊となっているが、これは多分に商業的な思惑によるものと考えられる。しかし第1楽章と後続楽章の出版に1年以上のラグがあること、作品番号が2つにまたがっていることの理由はよくわかっていない。さらによくわからないのは、直訳すれば「フランス風のオリジナルモティーフによる」という但し書きが何を指しているのか、ということだ。オリジナル(創作)というからには、実在のフランスの民謡に根ざしているということはない。単に「オシャレ」ぐらいの意味で「フランス風」と銘打った可能性もなくはない。
シューベルトは連弾曲を書く際にスコアではなく初めからパート譜の形式で作曲したようだが、この曲はプリモとセコンドの音がぶつかる箇所が散見されることから、試奏もろくにせぬまま慌てて入稿したことが窺われる。すなわち、出版社からの委嘱を受けて作曲を始めたが、第2楽章以降がなかなか完成しないので、第1楽章だけが先行出版され、そうこうするうちに作品番号がバラバラになってしまった、といういきさつがうっすらと推測される。
「ハンガリー風ディヴェルティメント」と同じく3楽章形式だが、各楽章とも内容は充実しており、幻想曲調の「ハンガリー風」に比べると堅固な構成の作品となっている。
「行進曲のテンポで」と指示された第1楽章は大規模なソナタ形式をとる。悲壮感を秘めた堂々たる足取りのマーチがひとしきり展開されたあと、ト長調の第2主題が現れる。ゼクエンツを用いた情緒的な旋律は、前々年に初演されたベートーヴェンの「第九」のスケルツォ中間部の引用と思われる。主要旋律は次第にセコンドに移ってゆき、プリモは装飾的な音階のパッセージを鏤める。両主題のモティーフを存分に用いた展開部では過激な転調が繰り広げられ、使用音域もどんどん広がっていく。型どおりの再現のあと、ドラマティックな同音連打の上に第1主題が回帰し、力強く楽章を閉じる。
第2楽章の「アンダンティーノ・ヴァリエ」(アンダンティーノとその変奏)は本作の中核ともいうべき傑作である。ロ短調の主題と、その4つの変奏からなる変奏曲形式。訴えかけるような属七の和音から始まる主題は、シューベルトが書いた音楽の中でも哀切極まるもので、聴く者の心を捉えて離さない。とりわけ後半に現れる増三和音や減七の和音の響きには、胸をえぐられるような痛みがある。ダクティルスのリズムでメロディーを飾る第1変奏、スケルツォ風のスタッカートが跳ね回る第2変奏、プリモとセコンドの右手がカノンを繰り広げる第3変奏と続き、最終第4変奏はロ長調に転じる。テンポも緩み、夢見るような世界に装飾的なオブリガートが連綿と続いていく。コーダで主題が回帰し、悲しみの中に沈むように終わる。
第3楽章は非常に長大なロンド。のんきな調子の主題で始まるが、やがてダクティルスのリズムによる和音連打が延々と続き、一種のトランスともいえる独特の音響空間が創出される。その執拗さは現代においては異様にも感じられるが、おそらくは美しい響きがいつまでも終わることなく続いていく心地よさ、シューマンが「天国的長大さ」と評した世界、東洋におけるニルヴァーナの境地にも通じる、彼岸に至る感覚を喜びとともに体現したものといえるかもしれない。