【安全対策の定義】('20.6.21)
今年の3月と今ではどちらの方が安全な世の中なのでしょうか。
そのように問うてみるとします。二つの側面における答えがあります。
一つ目は感染者数のみを見る場合の答えです。
― 現在の方が安全です。なぜなら3月末の日本国内の感染者数は1500人弱(累計完成者数−(退院者+死者))、6月20日における感染者数は800人弱。リスクはおよそ半分です。
二つ目は世間のルール認識の普及を鑑みた上で、通常生活の中におけるリスクを見る場合です。
― これはさらに6月後半現在のほうが安全と思われます。なぜなら3月末から4月末までの一カ月で、感染者数が1500人から12000人弱にまで増えた結果と現在の状況を比較するすべを、私たちはすでに知っているからです。
いま、3月末以降に辿った患者増加の勢いが襲ってくれば、たちまちに感染者数は1万人を超えることになります。しかし、そのような現実を予想をすることは困難です。3月末と6月後半の現在とで何が違うかといえば、一般の人たちの危機管理能力が段違いに向上しているようにみえるということがあると思います。
人倫的バランスをこれからのどのように取り戻すのか、失ったものの認識さえままならないほどに課題は山積みですが、緊急事態宣言や様々な要請下における一般人に向けられた情報の集約の度合いは嘗ての震災時を凌駕したものとなり、以前には難しいと思われた個々人の危機管理意識の一般的な共有に寄与をしたことと考えています。
それぞれの立場で動かざるをえなかったり、または自粛を継続したりという中で、どのように自分が行動すればいまの状況を脱することができるかということ、その切実な問題とまさに一人一人の人間が向き合った結果、自分とは行動原理の違う人の中にあっても、どのようにすれば感染リスクを抑えることができるかということをそれぞれに学ぶ時間があり、おそらくは習得したのです。
その結果、感染リスクというものが、人と人同士の行動の重なりでしか生じ得ないことを知り、自分の行動次第で生きる道を探るという強さを得たことは、3月末の状況と6月後半の現在とでは全く違うということになります。
3月末に1000人の一般人が集まることと、いま1000人の一般人が集まることでは、どちらが感染リスクが低いかといえば、私は大多数の人がリスク回避の認識を体得している今の方が断然低いであろうと予想します。
これはすぐに数値では表せないことです。マスク着用をはじめとした自己から生じる飛沫防止の意識、そして手洗い励行の意識、それだけで安心の度合いがまったく違います。
ウィルスの感染力云々の話は専門家に判断をゆだねて、その情報を読んで自らの行動に取り入れていくという意識が、3月末から比べると信じがたいほどに高まっているということは、4月からほぼ休みなくカフェの営業を続けている中での実感として、私としては否定しがたいものです。
ご協力をいただいたお客様たちには、本当に感謝しかありません。
行動原理の違う人同士が、タイミング悪く出会ってしまった時には、その場の感染リスクが少し上昇します。しかし、そんな時にも私たちは自らの行動でそのリスクを抑えることをすでに学んで来たのではないでしょうか。
避難訓練は、平時にしかできない。これが6月後半現在の状況を鑑みたうえでのカフェ・モンタージュの安全対策です。例えばあの4月の状況下で演奏会を開催するとすれば…、あの時の自分では怖くて出来なかったことも、今の自分であれば皆さんのご理解とご協力のもとに開催できると信じています。あの時の弱い自分を思い返し、一度は敗北したという悔しい認識を持ちながらも、もうこれ以上負けるわけにはいかないという強い気持ちがあります。
まだ、恐る恐る、ゆっくりと動かしていくという段階ではありますが、皆様のご協力に報いるために、少しでも安心して、そして少しでも多くの人に集中してお楽しみいただけるシリーズに発展させることが出来ればと思っています。
第2回公演は、ブラームスが登場します。自らの行動原理でその人生の全てを生き切った、その見事さがそのままの形で現れた第1番の弦楽四重奏曲をお聴きいただきます。
皆様、どうかお楽しみに!!
高田伸也 カフェ・モンタージュ ('20.6.21) ________
(以下は、'20.6.5 記述分です)
ここでは安全対策という言葉の定義を致します。
まず安全対策の基本は「増やさない」ということです。
増やさないというのは、ある人にある特定の行動をお願いするときに、その人の感染リスクをある程度以上に増大させないということです。
ある程度以上とは、通常の生活においてさらされるリスクの幅の最大点以上という意味です。
そこで、通常の生活とは何かということを考えるのですが、これが各人によって様々であるところから、その定義が難しくなるように思われますが、ここでは想像の容易な部分のみを扱います。
まずは生活の中心である職場についてですが、職場で対面する人は、複数であってもそれは不特定多数ではありません。それぞれの職場にはその場に応じたルールが必ずありますし、それぞれの職場で安全対策が講じられているということに対して疑いをはさむことは出来ません。
テレワークをされていても出勤をされていても、通常の仕事においては、職場での感染リスクは考慮しなくても良い状態に対策がなされているはずです。それは最終的には、各人の手洗いの徹底と、対面における会話のマナーケア(距離と時間、咳エチケット、マスクの着用など)に委ねられることになっているのではないかと思います。
もしご自身の職場のルールに不安があり、ご自身でも安全のケアが十分に出来ないとお感じの方がいらっしゃるとすれば、その方にはなるべく自宅にいらっしゃることをお願いしたいというのが、現状、一般市民に求められているところではないかと思います。
職種によってより安全であったり、危険であったりということが言われる場面もありますが、基本的には安全は職種ではなく"職場"と"個人"に委ねられているというところで職場に関するご説明を終えたいと思います。
次に、ある一人の人が、職場以外での通常の生活において一日に何度不特定の人との接触機会があるでしょうか。
1. 出勤の行き
2. 出勤の帰り
3. お昼ご飯
4. 夜ごはんの買い物
ここに、日によって以下のような行動の中で、2つほどのオプションをつけるところまでを、ひとまずは通常の生活と定義します。
1. 理髪店に行く
2. 書店、家電店、楽器店、などに行く
3. 銀行、郵便局に行く
…などなど、その中に"劇場"を含めていくための議論が、ここでの安全対策に繋がっていきます。
まず、劇場内では、その中でのリスクを考慮しなくても良いほどに、十分な安全対策が取られていること、その信頼があることが基本です。
そうなりますと、自宅もしくは職場から劇場までに各人が辿り着くための経路が、そのまま劇場通いのリスク増減につながります。
以下、リスク管理の必要性の高い方から低い方に順番に書いていきます。
1. ご自宅に一度戻られてから、徒歩、自転車もしくは自家用車で直接劇場に向かう。
2. 混雑のない公共交通機関をつかって、ご自宅もしくは職場から劇場に向かい、終演後は直接帰宅する。
3. 自治体におけるリスクの認識レベルが同程度である都府県間の移動にとどめる。
4. 移動リスクが解消され、劇場内のリスク管理のみに委ねられる。
上記の4つの項目について、補足の説明を致します。
1と2については劇場までの経路が居住地域近辺に限られる段階、3と4については都道府県をまたいで劇場通いすることが許容される段階での話です。
1.につきましては、ご自宅に戻られるまでがその方の通常の生活。そこからリスクを増やさない形でのご来場経路を取っていただけるのであれば、リスク増大の問題は回避されます。
2.につきましては、ご自宅に戻られるまでに、寄り道のオプションを劇場としていただくことが、他の寄り道(例えば書店など)と同程度のリスクであり、そのリスクをとることが社会的に許容されることが前提です。
3.につきましては、例えば都道府県ごとにリスクのグレードが弱い方から順番に1,2,3,4,5と定義されていると考えた場合に、京都市が2だとすれば4や5の地域との間で劇場通いのために往復移動することは、社会的に許容されないと判断致します。逆に京都市が最大リスクの5である場合にも、リスク強度が3以下の地域から京都の劇場に来ることは、許容外と判断致します。リスク強度が段階の差である場合には、交通手段次第では移動が可能かも知れませんが、慎重に判断するべきであると考えます。
4.につきましては、地域ごとのリスクの数値に違いがないということで、リスクそのものが若干残されているにしても、地域間の移動によるリスク増大を考慮する必要がないことから、劇場内の安全対策のみが基準になると考えます。
※リスクのグレードは、現在のところまだ数値化されていませんので、各自治体が発表しているデータをもとに独自に観測する必要があると考えております。
以上、今後の状況を踏まえながら、劇場運営におけるリスク管理に努める所存です。
'20年6月5日
カフェ・モンタージュ 高田伸也
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【安全対策 - 第2回公演】