「シューマンの知られざるピアノ四重奏曲」
といって、どのような規模のものを想像するだろうか。自分は、例えばマーラーの四重奏断章のように、長くても20分くらいのものではないかと思っていた。そんな情報をどこかで見たような気もしていた。でも、楽譜が出版されているということを知って、調べてみるとなんと30分はかかりそうな規模の作品であることがわかった。そのような大規模な室内楽作品が、初期の、人によってはシューマン芸術の電圧が最も高かったとさえ表現するほどの、重要な時期に書かれていたというのである。
裏返されたハ短調 – PARTⅡ
「彼女のために存在するのは、私だけでいい」
そのように歌う歌曲『秋に』を、シューマンは18歳の時に作曲しながら発表せず、のちにその旋律をピアノソナタ 第2番の緩徐楽章に写し取った。
1829年、19歳のシューマンは全4楽章からなるハ短調のピアノ四重奏曲を書いていた。その作品はほぼ完成したところで放置され、シューマンはのちに作曲家としてのデビュー作として、同じ1829年に書いたピアノ曲「アベッグ変奏曲」を作品1として出版した。 “裏返されたハ短調 – PARTⅡ” の続きを読む
「シューマンを待ちながら」 第一章
サミュエル・ベケットはある小説を書こうとしていた。
それは、表現の「対象」も「手段」も「欲求」もなく、「表現の義務」のみが存在する小説。
登場人物は、そこで発生する何かを体現する。もしくはそこで何かを発生させる。もしくは、何かを叶えたいと願っている。
生きている人間は、そこで発生する何かのために、いつもそこにいるわけではない。そこで何かを発生させるためにいるのでもない。何かを叶えたいと強く願っているわけでもない。人間は存在し、何のためとは自ら知らずとも、そこにいる。
芸術がリアリズムを超え、その芸術を現実が超えてしまった戦後、「ゴドーを待ちながら」は書かれた。
“「シューマンを待ちながら」 第一章” の続きを読む